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育休2回、復帰2回。正社員を辞めた理由と年収の変化

「すみません、お先に失礼します…」
「ごめん、今日も帰り遅くなる」

毎日ずっと、誰かに謝っていました
職場でも、家でも

2回の育休復帰を経て、
私は“退職”という選択をしました。

でもそれは、きれいな決断ではありません。
後悔がゼロかと言われたら、そうでもありません。

それでも今、仕事と家庭のバランスをとって働けています。

当時の葛藤、判断基準、お金のリアル。
そして今どう思っているか。

同じように悩んでいる誰かの
材料になればと思い、まとめます。


1回目の育休復帰は、うまくいった

専門学校を卒業後、地元企業に就職し、約13年間働きました。

楽しいことも大変なこともありましたが、この13年間で社会人として本当に多くのことを学ばせてもらいました。会社には、今でも感謝しています。

入社6年目に結婚。
当時の私はシフト制で夜遅くまで働き、夫は朝4時に家を出る仕事。
休みの日にしか顔を合わせない生活でした。

この時一度退職を考え、上司に相談したこともあります。

「家族との時間を大切にしたい」

その思いを伝えた結果、人事から部署異動の提案があり、夫との生活に支障が出にくい部署へ異動させてもらえることになりました。

この経験は、のちの私にとって大きな意味を持ちます。

異動から1年半後、第一子を妊娠・出産し、社会人8年目で、初めての産休・育休を取得しました。

それまでがむしゃらに働いてきた私にとって、初めての立ち止まる時間でした。

育休は1年間。息子が1歳になるタイミングで復帰しました。

そのときの素直な気持ちは、

「社会に戻れるのが楽しみ

育休中の息子との日々はかけがえのない時間でしたが、子どもと1日中2人きりの生活には、息苦しさもあったからです。

復帰後は、理解のある上司と同僚に恵まれました。

時短勤務の私に合った仕事量に調整しながらも、「子育て中だから」と仕事を軽くするのではなく、私の強みを活かせる業務も任せてもらえました。

無理なく、でもきちんと戦力として扱ってもらえた。

だからこそ、ワーママとしての一歩を前向きに踏み出すことができたのだと思います。

この環境だったからこそ、「2人目も授かれたらいいな」と自然に思えました。

🌱 今振り返ると

・うまくいった理由は「私の努力」だけではなかった
・上司との相性は想像以上に大きい
・環境が整うと、前向きに未来を考えられる

2回目の復帰で、何が変わったのか

長男が2歳半のころ、第二子を出産しました。

妊娠中は切迫流産で約2か月の休業。
さらに新型コロナの流行期。
不安の中での出産でした。

第二子は7月生まれ。
1歳で保育園に申し込みましたが待機に。
翌年4月、1歳8か月でようやく入園が決まりました。

そして約2年ぶりに、職場へ復帰。

その間に、環境は大きく変わっていました。


まず、直属の課長と部長が本社へ栄転。
(あれだけ良い環境を作れる上司です。そりゃ評価されますよね)

代わりに着任したのは、別部署から異動してきた方々。
顔見知りではありましたが、仕事の進め方も価値観も以前の上司とまったく違いました。

もうひとつの大きな変化は、職場全体の状況です。
コロナ禍で業績は大打撃。それでも社員やパートの雇用は守られました。

その代わり、外部委託はすべて打ち切り。
そしてコロナが落ち着いた途端、業務量は一気に増加。

人は増えないのに、仕事だけが増える。
そのしわ寄せが、現場に押し寄せていました。


私は育休前と同じ部署に復帰。

出勤初日、感じたのは。

「……全部、散らかっている…」

以前は業務分掌が明確で、誰が何を担当するか決まっていました。

でも復帰後は、その仕組みがなくなっていたのです。

課長に
「担当は決まっていますか?以前の業務を中心に進めてもいいですか?」
と聞きました。

返ってきた言葉は
「担当?今そんなの決めてる余裕ないよ。とにかく、みんなで目の前の仕事をこなすだけ!」

……絶望しました。


課長がバラバラに仕事を振り、それを各自が拾う。
自分の仕事が終われば、夕方から別部署のヘルプ。

同じ課には、もう一人の時短ママ。
2人で10分でランチをかき込み、すぐ業務へ戻る。
それでも終わらない。
ほぼ毎日残業。

課長も、同僚も、日付が変わるまで働いていました。
現場は、ぐちゃぐちゃで、ギリギリ。


帰るときは

「先に上がってすみません」

家に帰れば

「遅くなってごめんね」

職場でも、家でも。

私は、常に誰かに謝っていました。

🌱 いま振り返ると

・忙しさよりも「仕組みの崩れ」がつらかった
・「私が足りない」と思い込んでいた
・問題は、私ひとりのせいではなかった

わたしが退職を考え始めた本当の理由

こんな生活が、長く続くはずがありませんでした。

復帰から8か月後、私は退職を申し出ました。

新卒から13年間勤めた職場を辞めること。
幼児2人を抱えての転職。
家計は大丈夫か。

不安は山ほどありました。

それでも。

それを上回るほど、心も体も限界でした。

一番つらかったのは、

職場でも、家でも、
常に誰かに謝っている自分でした。

「先に上がってすみません」
「今日も遅くなってごめんね」

誰にも責められていないのに、
ずっと自分が悪い気がしていました。

この状態を、何年も続ける未来が見えなかった。

それが、退職を考えた本当の理由です


退職の意向を伝えるまでは、

「育休を2回も取って、1年も経たずに辞めるなんて」
「引き止められたら、何て言おう」

そんなことばかり考えていました。

でも、いざ話してみると――
驚くほどあっさり😳
すんなり退職が決まりました。

あんなに悩んでたのに、
めちゃくちゃホッとしました😮‍💨

「もう謝らなくていい…!」

そう思ったら、肩の力が抜けました。
不思議なくらい、不安はほとんどありませんでした。

🌱 いま振り返ると

・私がいなくなっても、会社はちゃんと回る
・でも、私の人生は私しか守れない
・限界を認めることは、弱さじゃない

退職後のお金の話💰

正社員からパートになり、
年収は約80万円減りました。

我が家にとっては“大打撃”😨

ボーナスがなくなることのインパクトは、
やはりじわじわ効きます。

何よりも怖かったのは

「毎月、貯金残高が減っていくこと」でした。

正直に言うと、今も貯金は減っています。

口座残高が少しずつ減っていくのを見るのは、
思っていた以上に精神的にきつい。

だからこそ、固定費を見直しました。

保険、通信費、サブスク。
“なんとなく続けていたもの”を一つずつ洗い出しました。

生活レベルは大きく変えていません。

でも振り返ると、
「なくても困らないもの」にたくさんお金を使っていた
ことにも気づきました。

忙しさの中、お金を使うことでバランスを取っていたのかもしれません。

それでも続けていることもあります。

NISAは減額して継続し、ゼロにはしませんでした。

将来設計も、大きくは変えていません。

教育費については、「大学進学が唯一の正解」とは思っていませんが、子どもが将来どんな道を選びたいと思っても、
“選べる状態”にはしておきたい。

そのための準備は、できる範囲で続けています。

不安は、正直いまもあります。

むしろ、まだ渦中。

でも、ひとりで抱え込まないことだけは決めました。

夫と話し合いながら、
「我が家としてどうするか」を考える。

今は、チーム戦です👨🤝👩

🌱 いま振り返ると

・お金の不安はある。でも、前より呼吸は楽
・数字から目をそらさないことが、安心材料になっている
・夫と向き合って、話し合える今の関係は◎

最後に

退職が正解だったかどうかは、今もわかりません。

簡単に割り切れることばかりではなかったし、
キャリアに線が引かれたような感覚も、正直あります。

貯金は減っています。
不安もあります。

それでも、

あのとき何も考えずに続けるより、
自分で悩んで、選んだ今のほうが納得しています。

私がいなくなっても、会社はちゃんと回る。

でも、私の人生は私しか守れない。

あのとき「限界だ」と認めたことは、
弱さではなかったと、今は思えています。

もし今、迷っているなら
正解を急がなくて大丈夫🌱

この記事が、あなたが考えるための
小さな材料になれたらうれしいです。

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