上野天神祭2/3(だんじり1/2) 25/10/19
神輿、鬼行列の次は楼車(だんじり)。江戸時代には「台尻」「檀尻」と表記され、また「山鉾」とも呼ばれた楼車は、18世紀後半、1756年の向島町の「花鉾」や、1759年の中町の「其神山」がその原初とされる。
本町筋・二之町筋に面する九つの町( 総称「楼車町」)が1基ずつ所有し、9月9日に上野天神宮で行われる「鬮取式(くじとりしき)」で決定された順番で曳き出される。


一番 桐本(東町)
文政10年(1827)伊賀の仏師筒井儀兵衛らにより作られた。当時菅原神社の境内に桐の大木がありそこからと名付けられた。他のだんじりと比べ大きく異なるのは胴幕。水引幕が無く、正面の袖幕から3面を連続した蘭亭曲水の宴 の柄の大幕で覆っている。もう一つの特色は囃子で他が祇園囃子の流れであるのに対し二連摺鉦、太鼓、篠笛に鼓、三味線が加わった五楽奏。曲の調子もゆったりとして雅やか。




二番 紫麟(しりん 魚町)
「紫鱗」とは鮮魚の意、又の名を「庶尹允諧」(諸々の役人が一堂に会して調和)とも言い、その文字が前後の妻梁の上部に書かれている。囃子座の4本の化粧柱は龍を文様化した飾金具が巻かれる。胴幕も5枚に分かれ中国故事の英傑らが描かれている。

文化10年(1813)9月新調。




三番 鉄英剣鉾(てつえいけんぼこ) 向島町
宝暦6年(1756)に作られた「花鉾」に始まる。安政6年(1859)に現在のものが長田の安場武右衛門により建造。前後の化粧梁に向島町に居住した藤堂藩の儒者兼兵法家高見照陽の書「深溟(たんめい)」「剪莽(せんぼう)」の扁額が掛けられ、暗がりを探り生い茂る草を刈る開拓の精神を表す。囃子座の欄縁の四隅にある黄金の御幣は四神(中国の神話で天の四方を司る霊獣、東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武)を鎮める為のもの。屋根上に立てる剣は、足揃えの儀には銀の剣。本祭には金色の剣を飾る。屋根は切破風で古い鉾車の形を良く伝える。





だんじりの左で鉄道員が先が逆三角形の竹棒で架線を上げている。


四番 二東・月鉾(にとう・つきほこ 鍛冶町)
前幕「白象に唐子」は最初、江戸時代後期(19世紀前半頃)に製作され、平成15年から2年かけ復元新調。




水引幕 飲中八仙図。明治19年(1886)。
胴幕 籬(まがき 垣根)に菊図。陶淵明 の飲酒詩、「采菊東籬下悠然見南山」にならう。
前幕 白象に唐子




五番 其神山・葵鉾(きしんざん 中町)
宝暦9年(1759)に其神山が造られ現在に至る。大型の屋根で鬼瓦には頂部に雲と宝珠、両流れに竜の彫物を配す。

しるしの見送幕は中国明時代(1368~1644)の官服で作られたといわれる。
(群青、赤、黄、紫等々の真 向きの龍の蝦夷錦)




「いかなればそのかみやまのあふひぐさ としはふれどもふたばなるらん」
「其神山」は上賀茂神社枕詞、「葵草」は賀茂祭の葵蔓で
「いかなれば」の起句を伊賀と結びつけ、だんじりの名を付けた。

