見出し画像

XGは「余白」をデザインしている 〜参加したくなる世界の作り方〜

いい音楽を作れば、自然と広がる。
そう言われることもある。

もちろん、それは間違いではない。
しかし今の音楽シーンでは、毎日のように膨大な数の楽曲がリリースされている。
どれだけ素晴らしい作品でも、届け方がなければ埋もれてしまう時代だ。 

だからこそ、今は「どう作るか」と同じくらい、「どう届けるか」が重要になっている。

XGを見ていると、その届け方にも一つの共通した考え方があるように感じる。

私は、それを「余白をデザインすること」だと思っている。
ここでいう余白とは、作品を完成させるだけでなく、聴く人や観る人が自分なりの解釈や表現を重ねられる"参加の余地"のことだ。
その余白が、新しい表現を生み出し、自然と世界へ広がっていく。

発見する余白

XGの楽しみは、新曲が公開されてから始まるわけではない。
むしろ、その前から始まっている。

新曲発表前に公開されるTeaserは、毎回どこか謎めいている。
短い映像の中に意味深な言葉や演出が散りばめられ、「これは何を意味しているのだろう」とファンの考察が始まる。

さらに、何気なく公開された動画や写真にも、「もしかすると新曲の伏線ではないか」と話題になることがある。

一つひとつの投稿を見逃したくない。
そんな楽しみ方も、XGの魅力の一つだ。

つまり、作品が公開される前から、ファンはすでに参加しているのである。

解釈する余白

XGは、新曲が公開されても、歌詞やMVの意味について、明確な答えを語ることがあまり多くない。

もちろん作品ごとのコンセプトは示される。
しかし、「この歌詞にはこういう意味があります」「このシーンはこう解釈してください」と細かく説明することは少ない。

だからこそ、聴いた人それぞれが自分なりの解釈を考えたくなる。

YouTubeには世界中のリアクターが動画を投稿し、「私はこう感じた」「この演出にはこんな意味があるのではないか」と語り合っている。
考察すること自体が、一つのコンテンツになっているのだ。

答えを与えるのではなく、考える余白を残す。
その余白が、多くの人を作品へ引き込んでいるように思える。

表現する余白

XGは、多くのシングルでInstrumentalも配信している。

以前であれば、Instrumentalはカラオケ用という意味合いが強かった。
しかし今は、その役割も少し変わってきているように思う。

XGは、ダンスの音ハメが非常に細かく、一音一音まで振付とリンクしていることが多い。
だからこそ、Instrumentalを聴くことで、ボーカルに隠れていた音やリズムの構造が鮮明に見え、ダンスへの理解も深まる。
ダンサーにとっては、音を細かく拾いながら練習できる素材にもなるだろう。

さらに、「WOKE UP」のInstrumentalでは、自分自身のラップを乗せて楽しむこともできる。

そして、「XDM」はDJプレイしやすいよう再構成されたシリーズだ。
クラブやイベントで流したり、DJ Mixに組み込んだりと、楽曲が新しい場所で鳴るきっかけを生み出している。

InstrumentalもXDMも、単なる特典ではない。
音楽を「聴くもの」から、「自分なりに表現できるもの」へと広げる余白になっているように感じる。

InstrumentalやXDM、さらに他のアーティストが参加するREMIXもまた、一つの楽曲に誰かが新しい表現を重ねられる余白と言えるのかもしれない。

自分を表現する余白

XGが影響を与えているのは、音楽だけではない。

Y2KやY3Kを取り入れたファッションも、その大きな魅力の一つだ。
ライブ会場へ行くと、それぞれが思い思いのコーディネートで参加している。

メンバーの衣装を参考にした人
自分なりにアレンジした人
ネイルやヘアカラーまで世界観を取り入れた人

同じ服装の人はほとんどいない。
それでも、一目で「XGのライブに来たんだな」と分かる空気がある。

そして、そのコーディネートはInstagramやXなどのSNSで共有され、また別のファンの刺激になる。

ここでもXGは、「この服を着てください」と示しているわけではない。
一人ひとりが自分らしく表現できる余白がある。
だから、ファッションもまた、XGの世界観を広げる一つの参加になっているように思える。

共有する余白

ライブでも、その考え方は変わらない。

XGはライブでのスマートフォン撮影を認めている。
その結果、SNSには数え切れないほどのファンカムが投稿される。

推しだけを追い続けた映像。
フォーメーション全体が見える映像。
アリーナ席からの視点。
スタンド席からの視点。

同じライブであっても、一つとして同じ映像はない。

面白いのは、ライブに参加できなかった人だけではない。
実際に会場にいた人まで、他の人が撮影した映像を見たくなることだ。

ライブが終わった後も、新しい映像が次々と生まれ、体験そのものが広がっていく。
そこにも、「共有したくなる余白」があるように思う。

余白が、人を参加させる

こうして並べてみると、一つひとつは別々の取り組みに見える。

  • Teaserは、考察を生む

  • MVは、解釈を生む

  • Instrumentalは、表現を生む

  • XDMは、新しい音楽体験を生む

  • ファッションは、自己表現を生む

  • ライブ撮影は、共有を生む

しかし、その根底には一つの共通点がある。

作品を完成させるだけではなく、誰かがその先を作れる余白を残していることだ。

リアクターは、自分の解釈を語る
ダンサーは、音を細かく表現する
ラッパーは、自分のリリックを乗せる
DJは、新しいつなぎ方で楽曲を届ける
ファンは、好きな服を着て、自分だけの視点でライブを記録する

作品を受け取るだけではない。
それぞれが、自分なりの表現を作品に重ねていく。

もちろん、TikTokで拡散しやすい振付やダンスチャレンジも、今の時代には重要なプロモーションの一つだ。
しかし、それは多くのアーティストが取り組んでいる。

一方でXGは、一つのSNSだけに頼っているようには見えない。

XGは「拡散してください」と呼びかけているわけではない。

しかし、余白があるから、人は考える。
余白があるから、人は表現する。
余白があるから、人は共有したくなる。

その積み重ねが、自然な広がりを生み出しているのではないだろうか。
作品そのものに「参加できる余白」を用意することで、それぞれの得意な形で関わる人が現れ、その結果として世界へ広がっていく。

私は、この仕組みこそが、XGらしい「余白」なのではないかと思う。

以前の記事では、XGは一度生まれた楽曲を「育てる」という発想で音楽づくりをしているのではないか、と書いた。

そして今回は、その育った作品には、世界中の人が参加できる余白があることに気づいた。

余白があるから、人は考える。
余白があるから、人は表現する。
余白があるから、人は共有したくなる。

作品は、完成した瞬間に終わるのではない。
人が参加することで、新しい価値が生まれ続ける。

だからXGは、音楽を作っているだけではない。
人が参加したくなる世界そのものをデザインしているのかもしれない。


XGを見ながら考えたことの記録
▶「Xtraordinary Genes」を読む

この記事が参加している募集