第22話『15色のパステル』(2025年4月10日~2025年4月14日のこと)
4月30日が僕たちの結婚記念日だった。
妹から「何かやった方がいいよ、絶対」という助言を受け、とても自然に頭に浮かんだことがあった。
<そうだ、絵を描いて妻に贈ろう>
幼少の頃、僕は絵を描くことが大好きだった。
毎日絵を描いていた。
忘れていた。そうだ、絵を描こう。
実は以前、『坂口恭平』というアーティストの描くパステル画に衝撃を受け、何か機会があったら自分も描いてみたいなあとおぼろげに考えていた時期があった。
あの時の自分に戻る。
そして描いた絵が妻へのプレゼントになる。
これ以上ないタイミングじゃないか。
坂口恭平のパステル画とはこの時のために出合ったのかも知れない。
思い立った翌日、早速僕は新宿にある大きな画材屋さんへ行き、パステルとスケッチブックを購入した。
予備知識など何もなかった。描き方だってよくわからない。ただ沸き起こる衝動に従った。
描く題材はすぐに決まった。
以前、妻が友人と小旅行に行ったときに見たという海。
「ほら、すっごいきれいだったんだよー」と妻が自ら撮った写真を見せてくれたことがあった。あの空と海を描こう。
この物語の最後の景色。
僕にはそう映っていた。
*
家族が寝静まった夜、スケッチブックから1枚、紙を破り取り、スマホに残してあった写真を見ながら、僕はパステルでカリカリと絵を描き始めた。
どうなるか想像もつかなかった。
何十年振りだろう。Instagramに載せていたラクガキを除けば、絵を描くことなど中学校の美術の授業以来だった。
15色のパステルから色を選ぶ。写真を見ながら紙に色をのせ、実際の色に近づけていく。
太陽光線が海と浜辺を照らしている。
僕はその浜辺に妻を立たせた。
手をかざし遠くの地平線を眺める妻の姿。
その背中は何かを探しているようにも見える。
気がつくと目の前に1枚の絵が完成していた。
<あれ、できちゃった。うん、まあこれでいいか。・・というかこれでいいじゃん!額装にしよう。額に入れて妻に贈ろう>
ちょっとした思いつきからこんなところまで来てしまった。
思えばシバさんがウチへ来たあの日からだ。
歩いて歩いて、妻の待つ浜辺へ辿り着いた。
そのとなりに立って一緒に探したいと思った。
楽しいことを。笑顔を。僕らの未来を。
*
なじみのある場所の近くに、描いた絵を額装してくれる画材屋さんを見つけた。調べてみるとかなりの老舗のようだ。
僕は絵を持参しお店を訪ねた。
古びた階段が味わい深い。
そこは小さなビルの2階にあった。
扉を開く。
「あのー、この絵を額装していただきたいんですが」
「いらっしゃいませー」と答えた店主さんがそのまま丁寧に対応してくれた。
「マットを入れると絵が映えますよ。青色が印象的な絵だから、こんな感じの白がいいんじゃないかな。どうですか?」
実際にマットを入れ仮の額装をして見せてくれた。
「わあーいいですねえ!じゃあ、このマットでお願いします」
僕はそのまま絵を預けた。
完成は3日後くらいになるという。
「よろしくお願いします」と頭を下げ階段を降りる。
湧き上がる高揚感を抱えたまま僕はビルの外へ出た。来た道を歩く。
どうやら妻のためだけではなかったみたいだ。
ほったらかしにしておいてすまなかった。
<おー、ひさしぶりだなー!>
大きく声をかけるとこちらを向いて嬉しそうに笑った。
信号待ちをする高架下で、僕の魂が喜んでいた。
