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『ルックバック』について(批評について①)

Amazon Primeで映画『ルックバック』をやっていたので、見た。

この作品の、私の、個人的な受容過程は以下のようなものだ。
まず、映画が公開された頃に、遅ればせながら、原作漫画をkindleで読んだ。
話題になっていたからだ。
あと、作者さんを知ってもいた。
藤本タツキさん。
『チェンソーマン』や『さよなら絵梨』を読んだことがあった。

アニメ映画のほうははじめ、スマホで見ていたので、大筋を掴んだくらいだった。
まあよくある感動モノで、短いながらもエモいBGMとか、斬新な表現方法とかで、話題になっているのだろう、と思った。

他の人の感想を目にしたりもした。
大変すばらしいアニメである、傑作である、歴史的名作である、金字塔である、と、評価はすさまじいものであった。

そして、映画館で見ていた友人が、アマプラ(Amazon Prime)になったから、また見てみる、というようなことを言っているのを聞いていた。
ああ、この人も感動していたのか、ということを知った。
そして、何度目かになる視聴をするんだ、と。

このたび、パソコンの画面でじっくり見たら、本当に素晴らしいアニメだった。
冒頭のBGMから泣けたし、最後のエンドロールでは動けなかった。
漫画を読み返して、こうしてnoteで感想を拡散しようとまでしている。

と、久々に深く心に突き刺さる殿堂入りの作品に出会った、と思ったので、そのことについて、つまり個人の「批評」のあり方について、書いてみようと思った。

まず第一に、ここに書いたのは、個人がいかに作品を受容したか、という過程についてである。
たぶん、これは、創作者(そして宣伝担当者)にとっては喉から手が出るほどほしい情報である。
いかにして、読者は、自分の作品を手に取ったのか。そして、味わったのか。(いや、あるいは、自分の作品に絶大の自信を持っている人は違うのかもしれないが。私の作品は・便所で読まれようが大豪邸のトリプルベッドで読まれようが・絶賛の嵐だろうが酷評の地獄だろうが・読まれさえすれば文句なしの名作だ!)
そして、ネタバレをほとんどしていない。
強いて言えば、「泣けた」くらいのものだ。

批評のカタチ①
「イイゾ!見て!」
ネタバレを避けて、ともかく拡散しよう。

あるいは、私たちは知っているのかもしれない。
多様性、人はみなそれぞれ、感動のポイントが違う。
私の感動を声高にふりかざしても、それはあなたの感想ですよね、と、某有名人のように言われてしまう(使い方が違うのは意図的だが、根本的なところは同じだと思う)。
私の「読み」をいくら述べても、結局は私の中の「読み」であることを。


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