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耳読書(本の手触り⑦)

この頃では、耳でする読書もある。
Youtube、オーディブルなどの朗読サービスも増えてきた。
海外では、日本よりもその市場は大きいらしい。
自動車の運転時間が長いから、などの事情もあるのだろうか。
私は運転、家事や散歩、寝る前などに音声コンテンツを聴いている。
手の平で感じる本の手触りはなくなるが、声優さんたちのそれぞれの努力や工夫を楽しむ、声の耳触りがある。(日本語で耳ざわりな、というと、マイナスな意味になるが、ここではプラスの意味である。)

読み上げ機能を使って、テキスト形式の電子書籍を読み上げてもらう機能もある。
機械的な音声になるが、耳読書が必要ならば、今は機会に朗読してもらうことができる。
例えば夜、部屋を暗くしておかなければならない時などに、イヤホンで耳で読書をすることもできる。
暗い場所での読書は、Kindle端末やスマホにはバックライトがあるので、電子書籍ならば暗い室内で読むことができる。
闇の中の読書端末の灯。
これも、リアル書籍にはないメリットである。(目には悪そうだが。)

本ではないが、ボイシーなどの音声コンテンツも楽しい。
推敲の効かない一発録りを続けている方たちがいる。
文章と音声のアウトプットにはどんな違いがあるんだろう?
私は自分の声が嫌いだし、録音する時間や場所に困るので、noteによるアウトプットで満足しているのだが、興味はある。

口承、というものがある。
口承伝承。
歌いついだり、語り継いだりして、口から口へ伝えられているもの。
はるか昔、文字がない頃、人類は口から口へ、情報を伝達していた。
あるいは、文字の残すことはできない秘伝のようなものを伝える場合。
耳でする読書は、原始の情報伝達部分を刺激するだろうか。
漫画『Dr. Stone』で、子孫に情報伝達をする壮大な展開があったなあ。
口承伝承、と書いて、村上春樹の短編集『TVピープル』に「我らの時代のフォークロア──高度資本主義前史」という短編があったことを思い出した。
「民間伝承」のことをフォークロアというのだ。
そのうち読み返してみたい。

文字を読む読書と、耳でする読書の具体的な違いはなんだろう。
効果音やBGMがつくと、耳でする読書はちょっとはなやかになる。
ただ文字を朗読しているだけの耳読書。
朗読者さんによる、誘導のうまさみたいなものも影響してくる。
読み上げ機能による、淡々とした読書。誤った読み方をすることもあるが、ご愛嬌。それでも充分に感動した読書もあった。
視覚的な文字にこだわる本の場合、耳でする読書では情報が不足するだろう。
「子ども」と「子供」にこだわる場合のようなことである。


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