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本来的なもの(暇と退屈を埋める文学的㉕)
『暇と退屈の倫理学』に、「本来的なもの」について書かれてある部分がある。(p192)
「本来的なもの」は大変危険なイメージである。
人間、こうあるべし、と強制的だからである。
自由を奪うからである。
大義のようなもの。
そんなものは与えられない。
特に、近代化の終わった日本では。(村上龍)
ラブ&ポップ、風の歌を聴け。
退屈な時代の、なんとなく繁栄したあとの気分。
地震におびえ、穴におびえ、火災におびえ、戦争におびえ、人口減少におびえ、ICTへの乗り遅れにおびえ、経済の凋落におびえ、しかしそれら問題意識には大義を見出しやすい。
人間、これらの問題について熟考し、解決策を見出すべし!
それらはわかりやすい敵だからだ。
それらをなんとかするために、私は生まれてきた!
大義は生きる意味だ。
目標、ミッションだ。
しかし、生きる目標、目的を、大義を、現代社会は与えてはくれない。
そこで、個人的な目標管理が必要になってくる。
目標についての注意点:
①目標が高すぎてはあきらめる
②本当にそれが正しいゴールなのか、迷わないようにする
③目標に向かうその道は正しいのか
④トカトントンしてしまわないか。
生きる意味(大義・目標)を見失った時、人は「どうして生きているんだろう」「どうやって生きればいいんだろう」と、暇をもてあます。
結局人生は「死」という列車の到着時刻までの暇つぶし。(p240)
あるいは達観して、目標なんて欺瞞だ、でも、生きることには意味がありそう、という予感だけで生きられるようになったとして、
そこを乗り越えたとしても、「パーティでの退屈」(p253)になる。
何を書いているのかわからなくなってきたが、倉下氏が、「目標」についての本を書かれている。
Kindle Unlimited読み放題。
