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フィクションに興味がない=文学的ではない?(「文学的ではない」状態とは②)
フィクションに興味がない、という人がいる。
それはしょせん作り話でしょう?
SF、ファンタジー、そんなもの現実にはないでしょう?
私は、フィクションが理解できない人は、文学的ではないと思う。
作り話、物語は、文学の根幹にかかわることだと思う。
原始時代、人類が焚き火を囲みながら「誇張を交えて」自分の武勇伝かなにやらを語っていた頃から、ありもしない夢や希望を語っていた頃から、フィクションは重要なことであったと思う。
言葉的にも、「フィクション」があってから、「ノン・フィクション」は存在するわけだし。
『サピエンス全史』で、ハラリ氏は幻想の重要性を書かれている。
物語は、幻想を支える、重要なファクターである。
幻想とは、フィクションのことであろう。
ただ、文学のジャンルとして、「ノン・フィクション」がある。
ノン・フィクションを書く作家がいる。
ノン・フィクションが文学的ではない、とは、ならない。
ただし、何かを書き記し、記録しようとする時点で、その作者の視点のフィルターを通っている時点で、すべてはフィクションである、との謂もある。
歴史なんて、すべて、フィクションでしかないのかもしれない。
私の母親は、文学(フィクション)にはまったく興味がない人だった。
家事をこなし、スポーツが好きだった。
けれど、あの頃、ランドセルを背負って帰宅した僕の声の調子とかで、すべて分かっていた。
それなら、ああ、文学なんて必要ないのかもしれないけれど。
