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uchi_hiro
習慣化(社会人の武装の仕方㉘)
前回、習慣化するための記録ツールについて書いた。
では、noteを習慣化するために、前回書いたようなことをしたのか?
習慣化のために、毎日「note」という項目を作って、それに○をつけたり、タップしたりしたのか?
というと、しなかった。
noteを始めて「3週間」の期間も、していなかった。
それをせずとも、勝手に習慣化した。
「ゲーミフィケーション」の観点から見ると、
・書くことはそもそも好きだった。パソコンの画面とスマホの画面の両方で操作ができた。(操作性の保証)
・心、文学とは何か、創作、批評、本が読めなくなるなど、自分なりの課題をどんどん言語化できた、それを「これまでの文学的でありたい」に目次としてまとめたことで、できたことが可視化された(達成可能な目標設定/レベルアップのフィードバック)
・閲覧してくれる人がいる、バッジによる応援(フレンド機能/賞与)
・noteが自分の家のように、思考の落ち着く場所になってきた(独自性の歓迎)
あたりがよかったと思う。
けれども、そもそも言葉や文章が好きでなければ、noteにはハマらないだろう。
音楽的な人、絵画的な人、映像的な人、いろいろいるだろうと思う。
自分に合わないことを習慣化することほど、肩身が狭く、息苦しく、ストレスフルなことはないと思う。
自分にとって心地よい状態を模索すること。
自分が楽にできることを、さらに高めたり、深めたりすること。
そういうことで社会に貢献できたら、それでいいのだと思う。
