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記号接地問題(文学は心を扱う㉒)

いま述べたことを「記号接地問題」という。言語という記号と、現実世界とが「接地(グラウンディング)」しているかどうか。コンピュータは、現実世界と接地しないまま、記号だけを扱う。果たしてそれでも記号(言語)を適切に扱えるだろうか、という問題だ。

山本貴光『文学のエコロジー』

ごりゅごさんと倉下さんのPoadcast「ブックカタリスト」で紹介されていたので、買って読んでみた。

AIは、それまでの経験なしに、言葉を学習し、言葉を紡ぐが、それでも言葉を適切に扱えるのだろうか?

言葉のモンダイについて書いてきた。
文学は言葉による芸術作品を扱うものである、とか。
言葉への魂の込め方、とか。
言葉にならない秘密、とか。

上記引用は、前記事で、ロボットに心はあるのか、と考えたことにも繋がっている。

ロボットではないが、クローンには、クローンとしての誕生後、うまく生きていくために、オリジナルの経験(記憶)が必要。
スターウォーズのボバ・フェット。
月で働くクローンの映画もあった。(※映画『月に囚われた男』のこと。)

映画『マトリックス』の世界で生きる人類はどうだ。
培養されて生まれてきた人類は、夢を見せられて、熱を発して、電力を供給する。
その世界で生まれ、成長してきた、プログラムの中での出来事だが、これはまだ「経験(記憶)」と呼べるものかも。

世界を認識している自分のモデル、様式。
世界を知覚するのは、触覚、味覚、聴覚、視覚、味覚。
それらは何かに置き換えられて、我々の脳や心や魂の中にしまわれていく。
それを記憶やアウトプットする時に、言葉は最もよく使われている。

では、言葉で表されたその経験、物語を読んだ経験は、我々の経験(記憶)になるのだろうか。
少なくとも、一部にはなる気がする。
人生の大切な一部に…。


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