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inagakijunya
選択肢が多い(暇と退屈を埋める文学的⑯)
チャンネルが増え、人々の選択肢が無限に増えてしまったモンダイ。
ゲーム。
今4つの育成ゲームをプレイしている。
飽きたら次、飽きたら次、とやっていける。
レベルアップやアイテム、ゴールドに誘われて、それぞれのゲームのタスク処理をこなしていく。
ひとつひとつのスキルや知識も多様になるので、手に余る。
飽きたら次、飽きたら次。
退屈しないための一つの手かもしれない。
ニュースサイトは言わずもがな、何十本という、大半は自分には関係のないニュースの選択肢に満ち溢れている。
どのニュースを読もうか?
マジメに、下世話に、次々とニュースを読み飛ばしていく。
世界中のことを知り尽くすことはできないから、これも退屈しないための一つの手かもしれない。
※「自分には関係のないニュースの選択肢」、と書いたが、『暇と退屈の倫理学』の結論のひとつとして、「退屈と向き合う生を生きていけるようになった人間は、おそらく、自分ではなく、他人に関わる事柄を思考することができるようになる(p411)」を引いておく。
何十本という「分断」された選択肢。
しかし「世界」の側では、それらは分断されておらず、地続きのこの世界の上で同時多発的に起きていることである。
「私」の側では、自分という一本軸が、継続して、地続きに経験しているはずのものたちである。
私という地続きは、時間の経過と同じである。
私という人間にはいつか命の終わりがあり、選択する主体は、いつかは滅びてしまうのだ。
つまるところ、この1分1秒に感覚を研ぎ澄ませろ、ということか。
個々の人間には寿命があるから、文学的なものも含む、知識を継承していくためには教育や伝達が必要である。
世界の中心で愛を、文字に書き記して伝えようとすること。
