Photo by
soeji
マジメ(暇と退屈を埋める文学的㉒)
私は「マジメ」である。
「マジメ」とは、誰かに評価されるとき、そうあることができる状態である。
誰に評価されているのか?
教師、上司、カミサマ、あるいは自分の良心。
これら評価する人のものさし(※)に対して、きっちりしっかり沿っていること。
また、その評価基準に対して、高得点を取り続けられること。
そういう人が、「マジメ」である。
優等生。
文学的である=人生にマジメ、である?
文学的でありたい、と私が思う時、それは、人生に対してマジメである、ということかもしれない。
人間を想い、
哲学を満たし、
心をなくさず、
他者を感じ、
大きな物語を見渡し、
道徳について考える。
感受性豊かで、
深い視座に立ち、
現在を見つめる。
人生も評価されたい。
だれに?
神様に?
自分の良心に従って?
文学的であるということが、人間的である、と同義である時、私は、良い人間ですと評価されることになる。
文学的でありたいと願ってきた。
文学的であるとは、人生に対してマジメである、ということなのだろうか。
あるいはその逆で、お利口さん的な、受験的な、出世街道的な、家族想い的な、そういうマジメから、少しでも遠ざかりたいということなのだろうか。
ロックンロール。
人生がうまくいくことはいいことである。
けれど、うまくいっているなと感じた瞬間、人は逸脱を求めはじめる。
そんなことを、前回「UNDEAD」で書いた。
※ものさし。自分の評価基準、については、村上春樹『風の歌を聴け』に以下のように書かれてある。「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ。」
