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はじめに

私はずっと、「文学的でありたい」と思って生きてきたように思う。

小学生の頃、佐藤さとるさんの童話などを読んで、物語の面白さを知った。自然と、自分も物語ってみようと思って、遊びのような物語をいくつか書いてみた。

やがて芥川龍之介なんかを読んだ。
井上光晴氏の『小説の書き方』(新潮選書)を読んで、ABC3つのノートに日記を書いてみたりした。

中学の頃、太宰治を読んで、その文体で日記を書いたりしていた。
小説創作の真似事をして、友達に見せたりした。

高校の頃、吉本ばななさん、村上龍さんなどを知った。
そして、村上春樹さんを知った。
大きな衝撃と影響を受けた。
大学では英語と文学を学びたいと思った。
小説作法の本を読んで、創作してみた。
文学賞の一次選考くらいは通って、雑誌に名前が載ったりした。

けれども創作活動はその程度までで、社会人になって、働いたり、子育てをしたりして、ある程度に責任のあるおじさんになってしまった。
でもその間も、「文学的でありたい」と思って生きてきたようには思う。

ところでこの、私にとっての「文学的」ってのは何?、と、ふと疑問に思ったのだった。

このnoteは、この、文学的でありたいとずっと願ってきた、一種の生き方のようなものについて考えるために書いていくものである。


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