見出し画像

人間同士じゃなくても(文学は心を扱う㉑)

子どものために、ネットショッピングをした。
クリスマスだからね。
そうしたら、到着予定日になって、突然キャンセルのメール。
子どもは行き場のない怒りで、ちょっと暴れた。

ねえほら、注文をとって、袋につめて、とやっていたら、誰かに先を越されてしまったんだね。
仕事が遅い?
忙しいんだろうね。クリスマスでてんやわんやなんだね。

もう一度商品を探して、色違いのものを注文した。
そのうち届くだろうか。

子どもは早く早くと浮き足立つ。
運送屋さんも大変だからね。
梱包して、よいしょよいしょと積み込んで、事故しないように車を走らせて、届けてくれるんだからね。

なんて言いながら、
注文をコンピューターが処理したり、
ドローンが荷物を運ぶ時代を想像したりして、ちょっと萎えた。

確実にそれを、人間がやってくれているっていう。
そういうストーリーだったら、思いやりとか感謝とか、そういう考えであたたかいのだけれど。
人が荷物をまとめて、汗水垂らして運んでくれる、配送してくれる、みたいな、そういうストーリーが可能なんだけど。

ロボットがそういうことをしてくれるってなると、あんまりそういうストーリー、感情って生まれないんじゃないかと思う。

というのが前時代的な心の位置で、これからは、ロボットにも感謝、AIにも感謝。
同族同士だけが感謝の念を持つだけでは足りない、という心構えが必要かもしれない。
多幸感?
存在していること自体に感謝?
スピリチュアル、宗教的、というのでもなく、
感謝、とか、思いやり、について。

あるいは文学は、そういうこれからの感謝の範囲とか、同族を超えていく考え方とか。
あるいは、ロボットの考え方(それをロボットの心と呼べるなら、ロボットの心)を言語化するとか。
これまでも、手塚治虫だけじゃなく、ロボットの心を扱った作品はたくさんある。
人間の心をもったロボット。
そうではなくて、これからは、ロボットがロボットを描くことがあるかもしれない。
心って、ほんと、なんなんだ。
心を扱う、湿った感情のことが心なのか。
ロボットは毎日の生活の現象を、どう捉えているのだろう。
そしてそれを人間が知ったところでなぞったところで、なんら「感じる」ところはないのかもしれない。
感傷、がなければ、文学化しないのか、それともなくても文学化するのか。
多様性の時代と言われるが、思考の回路が違うものに、その様式を明かしながら進んでいくのが文学ではないか。
博士が愛した数学的なものの考え方とか、AI時代の文学とか、そういうものをつまびらかにしていくのも、文学の役目ではないのか。

もちろん、人間の私の心、この不安定で不確かなもの、ここを深堀することも、文学の役目だろうけれども。

ともかく、心をなくさずにいるために・・・。
って、心ってなんだ。
機械的で冷静なAIの視点の心もあるのか?
またわからなくなってきた・・・。


いいなと思ったら応援しよう!