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ゲーミフィケーション(社会人の武装の仕方㉒)

毎日繰り返すために、何気にnoteのバッジ(賞与)も励みになっている。
ゲーミフィケーション。
僕らはそれにあらがえない。

ゲームは余暇時間から読書の時間を奪うもののひとつ。

なぜゲームにあらがえないのか?
1.キャラクターのコントロールなど、能動的な参加は楽しい。
2.達成可能な目標設定がされている。細かいミッション、小ボス、中ボス、大ボス。
3.称賛の演出。noteのバッジもこれである。褒められているような演出。オンラインゲームなどでは、実際にフレンドから感謝される。
4.即時フィードバック。ダメージ表示、HPが減る、経験値XPをもらうなど、行動にすべて代償がある。反応がある。
5.成長の可視化。レベルアップする、強いアイテムをもらえるなど。
6.独自性の歓迎。個性的なキャラ、装備、パーティ、アイテムなどをカスタマイズできる。

こういったことでゲーミフィケーションの罠にはまり、それを加速するために課金したりすると、もったいないという意識でさらに虜になる。
あるいは、そもそも時間を投資するので、ここまできたのにもったいない、こんなに時間をかけたのに、ここでやめるのはもったいない、という気分にもさせられる。

村上春樹氏と村上龍氏の対談だったか、読者がアディクト(中毒)するような文章を書きたい、というような話をしていた。
先を読むことをあらがえないような文章。

得るものがある、という確信。
情報であったり、新しい視点であったり、心のやすらぎであったり。
あるいは、他人と語り合う時に、その本を読んでいることが必要だったり。

即時フィードバックやキャラクターコントロール、こちらの反応で展開が変わる小説。
リンクを利用したゲームブックについては、以前書いた。

実は、読む時に、私たちはその言葉を内部で「読み上げている」「(自分に向けて)語りかけている」とも言えるのではないか。
反応している。
その反応を、マルジナリアしたりするだろう?
メモする、noteに投稿する、
このアウトプットがあれば、読書をゲーミフィケーションできるのではないか。
なぜ働いていると本が読めなくなるのか、に対抗して、なぜ働いているのに本を読みたくなるのか、にできるのではないか。


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