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モジュール2(暇と退屈を埋める文学的⑭)

物語の中の登場人物が、モジュール化していることがある。
物語という大きな流れの中で、歯車として動いているキャラクターたちが、モジュール化していることがある。
交換可能な私たち。
それは、物語の中だけではなくて、現実世界でもしばしば起こっている。

一人の人間の中でも、習慣とか、思想とか、宗教心とか、性格の一部分とか、そういうものがモジュール化している場合がある。
キャラクターものの物語創作の現場では、モジュール化したものものを組み合わせて、キャラクター創作を行うことがある。
出身地、思想、嗜好、過去の傷、向かっている未来など、モジュールを組み合わせてキャラクターを創造する。
AさんもBさんもCさんも、モジュールのパターンでしかないと感じた時、人間がなんともつまらないものに思えてくる。
つまらないと感じる人間たちと共に生きる時、私たちは退屈してしまう。
どうせ私たちはパターンでしかない性格をもち、お決まりの物語の歯車として生き、それは交換可能で、別に特別なものではない。
・・・本当にそうだろうか?

唄えばいいのではないか、と思う。

自分の言葉とメロディーで何かを唄えば、それはあなただけの特別になるのではないか。
退屈などしない、あなただけの環世界になるのではないか。
「生きることがバラで飾られている」ことが、重要なのではないか。(『暇と退屈の倫理学』)

エヴァンゲリオンの中に、主人公シンジ君が、ピアノを弾くシーンがある。
そのシーンが、主人公シンジを、特別な何かに引き上げていた。
彼が弾くピアノは、唄っているのと同じようなことだったのではないか。


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