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小説の読み方(文学を人生のBGMに⑮)

アドラーとドーレンの『本を読む本』によると、小説は、一気に読むものである。

忙しい人が長編小説を読むときでも、このことを念頭において、できるだけ短時間で読むよう努める。小説好きの中には、できるだけゆっくり考えながら、なめるように読むのが好きな人がいるが、これは「読む」というより、本の事件や人物から、無意識の満足を得ているのだ。

(p209)

文学は、言葉をひとつずつ積み重ねていくので、集中して連続して読んでいないと、そのつながりを忘れてしまう。その雰囲気の連続性に、気付けなくなってしまう。

小説を読む時は、脳のCPUをフルパワーで使って変換し、風景を、情景を、読み込み、再現し、それをまた読み込んでいる。
仕事で疲れていると、この再現力が低下して、読めなくなる。
読書が中断され、連続性が断たれ、面白みがトカトントン、冷めてしまう。
若い頃は、やっぱり体力があったのだと思う。
すぐに没頭することができた。

また、あれをやっていない、これもやっていないと、仕事のことをどこかで考えてしまう時。
そして意識が仕事のほうに行ってしまうと、読書に戻ってこれなくなる。

だから、この頃は、若い頃のようにがつがつして一気呵成な読書、は、自分に期待していない。
それよりは、ゆるゆると毎日ちびちびと飲むウィスキーみたいな読み方でいいかな、と思っている。
1文でもいいから、本を開いて読んでいれば、それでいいかな、と思っている。

ところでこの本、翻訳者のひとりに外山滋比古さんが名を連ねておられる。
外山さんの本は、簡潔明瞭、しかし慧眼であり、好きだ。

***

本をなめるようにじっくり読む、ということについて、宮本輝さんと吉本ばななさんが対談された本、『人生の道しるべ』に、こんな一節があった。

でも、正直言って読み終わりたくなかった。いつまでも読んでいたかった。(…)私にも毎日面倒なことはある。苦痛なことだってある。体調はいつもよいとはかぎらない。それでもこの人たちに夜寝る前にちょっとだけ会えるんだと思ったら、いつも幸せを感じた。

『人生の道しるべ』あとがき 吉本ばなな より

吉本ばななさんは、寝る前にちょっとずつ、輝さんの小説を読んでいた模様。

この文章の中には、こんな一節もある。

みんなが本を読まなくなって、日々はやたらに忙しく早い回転ばかりを求められ、ゆっくりものを眺める時間もなく、短時間のひまつぶしには満ち溢れているこの時代の中では、まるで「深く考えちゃだめだよ」「そうしたら苦しくて損だよ」と言われているような気持ちになることが多い。そういう傾向は私が若い頃からもちろんあったけれど、いまはもう常識になってしまった。
でも、それは違うんだと輝先生ははっきりと示している。

『人生の道しるべ』あとがき 吉本ばなな より

短時間のひまつぶしとか、短時間の急ごしらえしごとばかりとかの時代だけれど、深く考える、文学的であるために、そういう心持ちは保ちたい。
自分の中に、そのチャンネルは持ち続けたい。
そうしたら、短時間のひまつぶしで、また短時間の急ごしらえの仕事をしてきたとしても、また、「文学的」には、戻ってこられる。



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