Again、産声、Mr.Children(文学を人生のBGMに⑯)
文学的でありたい長時間労働者による、どんな風にミスチルを聴いているかの、極私的な文章。
ドラマ『リブート』によるミスチル熱の再燃
ドラマ『リブート』が我が家でも好評である。
その主題歌をミスチルが歌っているので、ミセス好きの子どもたちも、ミスチルを聴いたりしている。
私は昔から(Tomorrow never knowsから)のミスチル好きである。
しばらく下火だったのだが、ドラマ主題歌『Again』の影響で、ミスチル好きが戻ってきた。
『Again』のMVはアートとしても秀逸なので、ぜひ見てみてください。
ミスチルを今、聴き直してみた
ミスチル好きが再燃してきて、とりあえずデビューアルバムから順番に聴き直してみた。
自分の人生の折々で、いろんな曲が響いていた。
恋愛していたり、受験勉強をしていたり、別れの季節だったり、就職活動をしていたり、家族をもったり、何かに挑戦していたり、地震だったり、感染症だったり、
その時々の風景に、ミスチルの音楽は私の人生のBGMとして鳴り響いている。
今現在、この長時間労働者のちゃりほんつりーがなぜか「聴けちゃうよなあ」という曲について紹介してみる。
SINGLES
失恋の歌なんだろう。
でも、自立した人々の歌、ともとれる。
孤独な我々の。
エソラ
やがて音楽は鳴りやむと分かっていて
それでも僕らは今日を踊り続けてる
忘れない為に
記憶から消す為に
音楽が鳴り止むのは、ライブの終わり。生の終わり。
村上春樹のダンス・ダンス・ダンス。
なんで記憶から消さなきゃいけないのか?
外山さんの忘却の整理学。
himawari
これはMVを見てもらわないと。
掌
ひとつにならなくていいよ
認め合うことができるから それで素晴らしい
キスしながら唾を吐いて 舐めるつもりが噛みついて
着せたつもりが引き裂いて また愛 求める
多様性が流行し終わった後の、今の世の中で、この歌詞の意味は重いです。
FIGHT CLUB
この曲、というか、ブラピの『ファイト・クラブ』を見直したい。
でも、この曲、ノリノリで、いいですよね。
addiction
中毒とか依存、という意味です。
でもこの曲は、夢とか情熱とか熱中とかに禁断症状、みたいな歌。
長時間労働者には、耳に痛い曲なのです。
Any
「聴けちゃうよなあ」というのはなかなか奇跡みたいなことで、その時期の日常に、風景に、その曲がぺたっと貼り付いてしまう。そうして、人生のBGMになる。
それは、無理やり貼り付けようとしても貼り付かない壁紙で、こちらで選ぶことはできないみたいだ。
そして、新しいアルバムが出ました。
新曲では、アルバムのタイトルにもなっている、産声が最高です。まずはMVをどうぞ。
MVの初めは霊柩車、弔うところからはじまります。
そしてだんだんとこう、なんか命のリレー朝のリレーとかも思い出します。
そんな風に命が引き継がれていく、輪廻転生みたいな。
生物にはなぜ死がプログラミングされているのかとか、まあともかく生と死の繰り返し、新しい命がこの社会に生まれて、この社会を維持していくエコシステムというか。
冒頭の歌詞が秀逸ですね。
野球場の少年達の声が、応援する保護者たちの少年期を蘇らせます。
私はもう、少年達の声で、過ぎ去った過去の少年期を蘇らせる側の人間なんだと痛感します。
さらに、日々の中で、新しい自分が生まれ変わるみたいな。
そういう、自分の中の新しい産声というニュアンスも感じられる。
春。
私自身、配置替えがありました。
新しい何かを感じている。
過ぎ去った過去、戻れない過去、新しく生まれてくる子ら、でも自分自身の中でも生まれ変わる気持ちがある。
ついに物質としてのCDを買わない選択をした
産声のアルバムは、iTunesで購入しました。
今までは、ミスチルだけは「物質としてのCD」を買っていました。
でもCDって結局、無駄だよなあ、という気持ちはありました。
CDはデータに読み込んで、iPhoneやMacに入れてしまうし。
ケースはしばらく飾ったら、無用になります。
それでついに、物質としてのCDを買わない選択をしました。
ひとつだけ、どうしても残念なこと。
それは、アートワークを見ることができないことです。
