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分断を生きている(文学とは何か⑰)

我々は昨今の社会情勢だけでなく、日々、分断を生きている。
・睡眠によって
・orgasmによって
・酩酊によって
・専門分野化、各分野の複雑化、専門化によって
・「分人」ペルソナ
・日々の時間のモジュール化。時間を色分けする。スキマ時間。仕事とプライベート(分けたくない人たちがこの頃いる。)
・アプリ、ニュース、1つの窓でめまぐるしく入れ変わるものもの。

文章は、単語という分断したものものの連続である。
文章という単語の連打を処理する。
シニフィエ・シニフィアンのめまぐるしい発生を眺めて、脳はそのプログラムを再生できる。
単語のそれぞれに、文体や配列に、手垢のついた「色」を見る。
懐かしさと新奇さと思い出を・・・。

「十字架」とか、「夕暮れ」とか、「海」とか。
いろいろ意味が込められている。
キャラには、そのキャラデザインの本流を読み取る人がいるかもしれない。
その「記号」というか「表象」に何が含まれているか、差別を嗅ぎ取る人もいる、何か新しい意味付けを見る人もいる、危機感をもつ人も。
人によって、イメージから想起されるものは違う。
その人のバックグラウンド、文学内再生産もあるだろう。
人生の多くを文学の世界で生きるとそういうことが多くなるだろう。
それはそれで尊い。

文学的とは、いわゆる小説のみだけから想起しない。
いろいろな「文化」「芸術」からでいい。
高級文化とサブカル、純文学と大衆文学などの違い・分断も取っ払おう。
映画、音楽、絵画も・・・
文章を中心にすえて考えているが、見渡して認知できる世界はなんでもよい。
Youtubeでも、言葉を使ったら文学化する。
絵画も映像も、記号的に扱いはじめた時、あるいは感想を文章化しはじめたとき、文学化する。
(言語以外の思考方法はあるのか?可能か??)


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