やり残し感2(社会人の武装の仕方㊲)
で、燃え尽きてしまうんじゃなく、やり残し感があったほうが、「楽しいことはまだまだあるよ」と思えるんじゃないか、という話。
でもだからと言って、100%までがんばらずに、常に中途半端でいよう、と進言するのも違う。
この頃の若い人は、しかし、生まれながらにその性能が備わっているらしい。
そこまではがんばらない。
アスリートのようには、自分を追い込まない。
もちろんこの世界で精神を病んでしまわないために必要なとこではある。
あるいは、ここで書いていることのように、全てを味わい尽くすんではなくて、ゆっくり味わっていこう、人の寿命も伸びてきた、ゆっくりやっていこうぜ、ということかもしれない。
ホワイトに、ホワイトに、でもそれで真の成長はあるのか?
電子機器のバッテリーは、空腹、絶食まで使い切って、充電すると、ダメらしい。
また、満腹、フルまで充電するのも、ダメらしい。
ほどほどがよい。
振り切るのではない、中庸がよいらしい。
読書における、やり切らないこと。
読書で、一冊を100%読み切る、というのは、がんばってない、とは違う、そもそも読みきれない、という問題もある。
完全に他者を理解することは不可能ではないか?
情報量、出版量の多さから、そもそも読み切れない量の本がある。
だから、そもそも読み切れないとも言えるが、他の娯楽に流れていってしまう時、この読書は後世にとっておこう、という時もある気がする。
積ん読が多い。
まだまだできていないことが多い、という後ろめたさ。
でもそれは、まだまだ読まれていない面白い書物がたくさんある、ということ。
極めることはまだまだあるぞ、という、世界に対する謙虚な姿勢。
けれども、年もとってきたし(初老、不惑)、やるべきことをしっかりやっていくのも大事だよなあ、と思い始めている。
燃やすべきは燃やしていくことが必要な、この我が道。
