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超多忙でも、あなたは「あなた自身」を手放さないでほしい。(文学は心を扱う㉔)

多忙になると、少しずつ心をなくしていく。
超多忙になると、少しずつ、「自分自身」をなくしていってしまう。

超多忙でも、あなたは「あなた自身」を手放さないでほしい。
では、「あなた自身」っていうのは何なのか。
それは、「自分自身がこうありたい」と思っている方向性のようなものではないかと思う。
あなたのコンパス、ミッション。
表現者でありたいとか、優しくありたいとか、愛を大切に生きていきたいとか、
そんな、「自分がこういう風にありたい」みたいなものが、「あなた自身」かな、というふうに思う。

自分自身が実際そうでなくても、「そうありたい」と思えていることで、もうそれは「あなた自身」なんだよ、と思う。

そんな「あなた自身」を、超多忙でも、手放さないでほしい。

多忙であっても、1日のうち、1分であれ2分であれ、「あなた自身」の何らかに触れて欲しい。
たとえ 1ミリの歩みだとしても、そちらの方向に向かって進んでいるのならOK。
毎日「あなた自身」に触れるようなルーティーンを組み、1日を設計しておくことが大切だ。

今の私は、とりあえず読書はしていたい。
文学と関わっていたい。
でも難しいところは、文学作品っていうのはある程度まとまった時間があって、集中的に読まないとわからない、ということだ。
さらに、気分が乗らないと、読むのが難しい時がある。
Voicy「真夜中の読書会」では、こういうのを「凪待ち」と言っていた。
気分のほうは、どうにもならない。
でも、毎日のルーティンの中に、「読書」を組み込んでおくこと、そうして「読書」を手放さないことはできる。

超多忙な時の、緊急用の「自分自身」に触れるルーティーンは、数秒で終わるような形にしている。
とりあえず1章だけ読む。
そが無理なら、1段落だけ読む。
それも無理なら、1行だけ読む。
それも無理ならとりあえず栞のページを開くだけ。
それも無理なら、表紙をちらりと見るだけ、という感じだ。

ごりゅごさんとこで、電子書籍(デジタル)では、強制力がなかったり、そもそも存在を忘れてしまって、毎日読書が続かない、というような話を聞いた。
この超多忙で自分自身を手放してしまいそうな緊急時でも、紙の、表紙にはさまれて、綴じられた、本というものが、テーブルの上に乗っていると、それだけで自分自身を忘れないことができるし、緊急時のルーティンも行うことができる。

自分自身の方向性が家族円満なら、家族に挨拶はしようとか、ともかく何かしら毎日のそういう自分の方向性みたいなものに触れること。
自分自身の志す方向に、毎日 1ミリでも進むこと。
それが、「あなた自身を手放さない」ということだと思う。

今あなたが多忙感に苛まれていて、長時間労働で拘束されていたとしても、そういう日々の方向性みたいなもの、「あなた自身」を失わないでほしい。
この嵐はいつか過ぎ去り、そうしてまた余裕を持って自分自身を見つめられる日がきっと来るはず。

今日も頑張っていきましょう。


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