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常識を超えるスピード、驚くべき速さ3(社会人の武装の仕方㊺)

「常識を超えるスピード、驚くべき速さ1」では、時短しようとして失うものについて書いた。
「2」では、そうして時短して作り出した時間で何をするのか、本当に有意義に使えるのか、それなら余暇などいらぬ、仕事してたほうがいい、という話を書いた。

余暇、レジャー、エンタメ。
空いた時間で、我々は娯楽産業を「消費」するだろう。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆)では、『映画を早送りで観る人たち』(稲田豊史)を引いて、

芸術──鑑賞物──鑑賞モード
娯楽──消費物──情報収集モード

p222

について書いているくだりがある。
話題に付いていくために娯楽をとりあえず消費したりする、それって本当に鑑賞しているの?
という問いである。

娯楽産業を消費するとは、そのような形での作品消費の他に、依存性のあるもの、快楽性の高いものがある。
ギャンブル、アルコール、性産業などなど。
強欲は罪である。

また、体を壊すもの、人間関係を壊すものは、我が身を滅ぼす。
夜道に後ろから刺されるような、共同体から憎まれるような、そんな消費はしたくない。

すなわち、エログロみたいな、わかりやすく消費者を煽ってくるような消費ではなく。
身を滅ぼすような不健康な消費でもなく。
情報収集モードで消費する物語でもなく。

「快楽的なダルさ」と、『スマホ時代の哲学』(谷川嘉浩)には書いてあった。
そういう消費でもなく。

つまり、私は、暇な時間をどんな風に過ごせばいいのだ?
暇と退屈の倫理学?

心をなくしたくないよな。
だから文学的であらねば。
そう思って、このnoteを書き始めたのだった。


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