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評価(暇と退屈を埋める文学的㉔)

個人主義。
夏目漱石が言及し始めた。(夏目漱石 私の個人主義
個々人が、それぞれに自立し、それぞれに、自らの頭で考えている。
個人主義というとき、『13歳のハローワーク』などを著した、村上龍氏を思い浮かべる。

「理想的な個人であるためには、文学的でなければならない。」という教養主義があるとする。
文学も教養に含まれる時、文学的が教育の一手段になっている・・・。
文学的の読書カリキュラムみたいなのがあるとしたら、現代では、それすら自分で組み立てなければなるまい。

個人主義よろしく、読書の感想は自由に持っていい、とするなら、
せっかく文学的の読書カリキュラムを組んでも、誤読の可能性も起きてくる。
カリキュラムがこう読んでほしいと思っていても、その通りに立ち上がらなくなる。
物語を読むのが好き、楽しい、というだけでは収まらない、窮屈な話になってきた。

強制されると自発的でなくなる。
自律的でなくなる。
自分の内部から発露することが大切である。
ポール・オースターの『ムーンパレス』のある登場人物は、ただその本を置いておくだけで、主人公にその本を読ませ、考えさせ、核心に迫らせることに成功している。
あくまで自分の意志で行う、という点は担保してある。

カリキュラムをこなしている人は、評価対象とすることができる。
評価する時、丁寧にカリキュラムに取り組む人、つまりマジメが発生する。
どんな人が文学的にマジメなのだろうか?
どんな本を読むことがカリキュラムになっているんだろうか?

さっき、個人主義の時代、何を読むかもそれぞれ次第、と書いた。
そして、選書したものを、どんな風に読むのかもそれぞれ次第、と書いた。
文学的の教育制度は、マジメに取り組もうにも、何に取り組めばいいのか、さっぱりわからない。
そして、どんな風に読めば高得点がとれるのかもわからない。

文学的の評価は、難しい。
あえて言うなら、自分が死ぬ時に満足できているか、だろう。


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