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大義の替わりに状態を(暇と退屈を埋める文学的㉖)

育成ゲームの、毎日の呼び声に誘われて、
毎日庭木に水をやるように、
毎日ひなに餌をやるように、
デイリータスクをこなしている。
自然とレベルアップしたり、アイテムを手にしたりしている。
安直だ。
・・・頼りにされたくて寂しいのか。

大義のようなものを意識せずに、目の前のToDoばかりを追っていたのではいけない。
根本を忘れてはいけない。
テーマ?
仕事でも同じこと。
他人に頼りにされていることは、嬉しいことだ。
自分の存在意義を、安易に見出しやすいからね。
それで、他人の仕事まで請け負って、タスクが増えていく。
ToDoが増えていく。

毎日毎日、他者からの要求に応え続けているのも、大義がない、と感じる。
自分の中にあるぶれない方向性、
大目標、
ミッション(神から与えられた使命?)のようなもの。

しかし、大義を見出そうとしても、大義はそもそも存在しないのだ。
そんなものはまやかしなのだ。

でも、「こういう状態でありたい」はある。
愛情深くありたい、
情熱的でありたい、
活動的でありたい、
勤勉でありたい、
知的でありたい・・・

文学的でありたい。

芸術的でありたい、は、『暇と退屈の倫理学』の、バラで飾る人生である。


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