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独学が流行る(社会人の武装の仕方㊾)

読書猿さんの『独学大全』という分厚い本が流行り、家にも一冊置いてある。

一人で学びたい。
人と関わりたくない。
引き籠っていたい。
「人と関わる」が「絶対必要!絶対善!」だと考える人には、これはゆゆしき事態。
こみゅにけーしょんを教えたり、売ったりしている人にとっては死活問題!
人と関わる機会は削ってはいけない!

とか考えたのだが、『独学大全』、よく読み返してみると、引き籠れ、などとはぜんぜん書いていない。

「独学者」とは、
自分で何を学ぶかを決め、
自分で教材を入手し、
必要な時間を何とかやりくりして、
試行錯誤を重ねて、
学習を続ける人のことだった。

という勘違いを、GPTとGemini両者とも、私に教えてくれた。
優秀。

AIの回答を要約すると、
・独学大全で強調されるのは、「学習の主導権を自分で持つこと」だ。学校教育が「何を」「いつ」「どう評価されるか」が決められるのに対して、独学の権利は自分にある
・ブーバー「学習は一人でもできるが、人間形成は他者なしでは難しい」人格を育てること → 他者との関わりが重要
・『独学大全』は「孤独礼賛の本」というより、「教師や学校がなくても学ぶ権利を取り戻すための本」と読むのが近いように思います。そう読むと、「独学」と「人とのつながり」は必ずしも対立しない
・学校教育だけではカバーしきれない人生の後半戦(あるいは学校に馴染めなかった瞬間)において、「自分で自分を教育する手段(=独学)」を知らない人間こそが、本当の孤立(引きこもり)に追い込まれてしまう、という危機感がベースにある

「文学的でありたい」とは、「自分が何を感じるかの権利は自分にある」「心を失いたくない」ということでもある。
自分で自分がわからない人間は、本当の孤立に追い込まれてしまう。
「文学的でありたい」とは、孤独であっても、本当の孤立はしないことである。
独学と文学的は似ている、と思った。

 ***

参考:

『独学大全』はこう使う: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる


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