人間トラブルがあっても、最悪それを描けばいいや(創作的な文学的⑯)
浅野いにおさんのインタビューを見た。
YOSTARというゲーム会社がやっているインタビューだ。
ゲーム業界はうなぎ上りで成長し、
出版業界はどんどん縮小している。
かわいい3DCGのキャラクターが案内してくれる。
髪の揺れや、うさぎ耳の揺れなどが細かくて、感動する。
インタビューの中で、浅野さんは座右の銘を聞かれ、
「万事塞翁が馬」と答えている。
漫画を描いているので、嫌なことがあっても、「最悪それを漫画で描けばいいや」と思えたりする。
私も文学的でありたい、と思って生きてきたので、「こんなひどいことも、小説で描くネタになる」と思えたりする、前向きな性格を手に入れられた。
浅野いにおさんの作品の中に、『漫画家入門』というエッセイ集がある。
うつな感じが充満している文章なのだが、共感する部分があった。
「もう他人に興味がないのかもしれない」と妻が言う。それは僕も同様だ。漫画の本質が「人間を描くこと」だとするならば、他人への興味の喪失は致命的だ。(…)差別や偏見を許さない最近の世相の、「それぞれの価値観を尊重する」というスタンスをとろうとすると、「人は人」と聞き分けばかりが良くなってしまう。それは興味を失ったことと同義だ。
漫画については、2010年代になり、漫画は作家の独占的なものではなく、読者とともに盛り上げるコンテンツになった、と書かれている(p219)。
「すべてがそうとは言わないが、特にキャラクターを重視した漫画の構造だけで言えば、アダルトビデオと同じだ。」(同上)
自分なりに解釈すると、個々人が生き生きしているはずのキャラクターモノはしかし、典型化し、構造だけが目立ち、そこに入れ替わり立ち替わり現れる人間は、取り替え可能な、パーツのようなもので、消費されていくだけ。
作家個人の個性や価値も、あまり問題ではない。
人は人、それでいいはずなのだけど、人間はやっぱり息苦しい…。
『デデデ』連載直前の文章だったのか、デジタルを勉強している、というくだりも。
デジタルは、やったらやった分だけ正直に反応する。(p199)
前回まで、「社会人の武装の仕方」と、ハックスやら、ツールやらについてだらだらと書いていたが、そういうことと似ている。
どうにもならない、そういうことを、漫画や文学は扱っている。
