結果を出さなくても(終わらない文学的⑥)
気がついたら6月になっていて驚いた。
前回の投稿が3月の終わりだったのか。
長時間労働に身をやつす。
新しい人間関係を眺め、自分がやった配置がうまくいったのか、うまくいっていないのか。
新人に教えたり、それぞれの長に様子を聞いたり。
たくさんの他人と係う充実感はあったが、沈思黙考はなかった。
喧騒が過ぎて、ちょっとゆっくり考える時間ができた。
GWでは得られなかった、うねりの中でしばし休息する船乗りの気分ではなく、やっと陸で一休み、みたいな感覚になったので、書いている。
毎日投稿ではなくなったけれど、このnoteを、もう少しぼちぼちと、続けていこうかな、という感じ。
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久々に自分の中に「文学的」をローディング。
「これまでの文学的」がかなり効果的に過去の執筆を思い出させてくれる。
文学的でありたい、文学的とはなんだ、こころをなくしたくないんだ、青春時代を永遠に、あるいは文学的でそこへ回顧、文学を人生のBGMにしたい、創作的でありたい、批評したい、文学的で社会人としての武装、文学的で暇と退屈に対抗。
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実は、私は、結果を出さなてもいいと思いながら働いているかもしれない。
体制の維持、時間が過ぎるまでを耐える。
結果とは?
ゴールとは?
その是非、善悪は、人それぞれだ。
会社がなし得た利潤も、「そこまでがめつく追求するのか」と白い目で見られることがある。
スポーツのゴールは、勝つことのみ(勝利至上主義)にはない。
人類が成し得た進化と発展も、地球環境にとっては悪だという人もいる・・・。
そんなことを言い訳に、結果を出さなくても、ある程度の充実感と、最低限の利益、従業員の満足を目指してやっている気がする。
そのあとやってくる未来に、ごくごく微細な良い変化があればいいなと思いながらやっている。
けれど、時間がたてば、私がやり遂げたことが、いくぶんか、社会に変化を与えていることにはなるのだろう。
その時、とにもかくにも、自分がやったことの結果を見ることになる。
意識的か、無意識的か、そんなことは関係なく。
物語の結末もそういうものだ。
意図しようが、意図しまいが、読者の中には何かを残す。
なんてことのない作業が
この世界を回り回って
何処の誰かも知らない人の
笑い顔を作っていく
そんな"些細な"生き甲斐が
Mr.Chidlrenの『彩り』をSuperflyがカバーしていた。
笑顔が結果ならいいな。
でも、世の中そんなに甘くはなくて。
だから、そこは、足を踏み外さないようには、堅牢な運営をしなくてはならなくて。
その最大多数の最大幸福が、難しかったりして。
