上機嫌(社会人の武装の仕方⑪)
齋藤孝さんの著書に『上機嫌の作法』というものがある。
私も、いつも上機嫌でいたい、と思っている。
上機嫌について、「自分」と「他者」という点で考えてみる。
上機嫌についての「自分」とは、自己実現、理想へ向かえている、というようなことである。
私は、知的で、文学的でありたい、と思って生きてきた。
知的とは?
好奇心があること。探求心があること。
対象について、深い知識、知見を持っていること。
データをもとに、自分なりの考えがもてること。
文学的とは?
これがこのnoteのテーマであるが、言葉に通じていて、心をもっていて、魂を感じられて、芸術を感じられる、というようなことである。
簡単には言い表せられないので、このnote総体として、表現してみている。
時代の流れを読み、アイデアマンであり、心を失わず、創造的であり、次世代へ何かを引き継ぐ。
私にとっての自己実現である。
少しでも、それができている、できつつある、という感覚はある。
上機嫌だ。
上機嫌の「他者」とは?
他者は、厄介ごとをもちこむ。
失敗した同僚や後輩に、上機嫌でいられるか。
考え方の全く違う人達を相手に、合意形成などできるものか?
ニュースなどの情報も、言ってみれば他者である。
自然災害や事故など、日々心が痛むニュースが見られる。
手に入る情報の範囲が広くなったから、それだけ悲しいニュースに触れる機会も増えている。
若い人が自ら命を絶つなど、見ていられない。
ネットで燃えているものや、心無い荒廃を目にして、上機嫌でいられるか。
それでも、他人を愛することができるのか。
思いやりを持って、他者の書いたものを、読めるのか。
それでもあなたは、上機嫌でいられるのか。
他者への上機嫌のための、私なりの社会人の武装の仕方。
メンタルタフネス、私にとってはある程度、文学はこれに貢献したと思う。
そもそも見ないでいること、通知オフ。でもこれは、ある程度以上は許されない、鎖国せよ、引きこもれということか?
祈りに昇華すること。世界はどの人にとっても手に余るものだ。ある程度以上は祈るしかない。私の場合は合掌し、目を瞑る、それぞれの宗派ややり方でいい。無宗教でも祈ることは必要だろう。文学作品は祈りに似ている、具体的な解決方法や政治的な方向性がなくても、祈ること、それは問題解決を先送りにしている?選択決定をしないモラトリアムだと非難される?それでも、もう選択肢がなく、もうアイディアも尽きたと絶望しないために、前を向いて進んでいくために、
祈る、ということはまこと都合が良く、上機嫌な手段だ。
…楽観的?
常に希望の人であれ。
