「LGBTQ+」への”配慮”って🤔~あるSNSへの投げかけ~
🏳️🌈はじめに🏳️⚧️
最近は「多様性を認めましょう」「マイノリティを差別することはやめましょう」「偏見をなくしましょう」と盛んに言われているけれども、果たしてその様な「社会的働きかけ」ってどれくらい浸透してるんだろう?
先日ふと、このように思いまして。とあるSNSに下記のような投稿をしてみました。
※かなりの長文のため、覚悟して読み進めていただければ幸いです🙇🏻
ふと思ったので皆さんに聞きたいです。
えっとLGBTQ+以外の方に質問です。
「LGBTQ+へ配慮する事とは?」と質問されて、具体的にどんな事を想像しますか?
すると思いのほか多くの方からご意見をいただきまして(笑)。「これは何かにまとめるしかない!!」と思い、noteにしたためることにしました。
1️⃣方法

『はじめに』でお示ししましたボクのSNSの投稿に反応してくださり、コメントしてくださった方々には、その理解に齟齬がないよう、さらにボクからいくつか質問をいたしました。
明瞭で内容や意図がハッキリしない箇所に対し、質問を繰り返し確認をする、という作業をしております。
少ない方で1往復、多い方で6往復のやり取りをしています。
これらを「対ボクとの、一対一での対話」という形式に書き直し、相手のアカウントなどの個体識別は記号に変え、ドキュメントのデータ化をしました。
そのデータをGoogleの提供する『NotebookLM』というAIサービスに学習させました。そして以下のコマンドを用い指示しました。
あなたは統計学、社会心理学、哲学、倫理学、医学、臨床心理学の専門家です。このデータは、ゲイである「私」とLGBTQ+ではない個人との、一対一の対話です。以下の方法で分析を行ってください。
ーKJ法を用い、「LGBTQ+への配慮」をキーワードに、意見を分類して、その理論的背景を説明してください。
ー倫理的、人権的に問題であると思われる発言を全て列挙し、その理論的根拠を示してください。
なお、LGBTQ+当事者からの投稿は対象外としています。
以下は、『NotebookLM』が生成した文章を、読みやすく改変しました。ただし、そもそも、引用元で用語の誤りがあった場合、修正を加えております。
2️⃣KJ法による意見の分類

KJ法に基づき、対象者A~BAの意見を「LGBTQ+への配慮」という観点から分類し、その本質を捉えたタイトルを付与しました。意見は大きく3つのカテゴリに分けられます。
※ここでは抽出されたご意見の「良し・悪し」や「正解・不正解」を問題にせず、どの様な意見にまとめられるか、という視点のみで考察されています。
①「普通」の人間関係としての接し方:特別な配慮をせず、個を尊重するアプローチ
このカテゴリの意見は、LGBTQ+の人々を特別視せず、あくまで一人の人間として、一般的な社会のマナーや対人関係の原則に基づいて接することの重要性を強調しています。過度な配慮は不要、あるいはかえって逆効果であると考える傾向が見られます。
🟦普遍的な人間としての尊重
性自認や性的指向に関わらず、個人として、友人として、あるいは同僚として尊重し、差別的な言動を避けるべきであるという考え方です。
「性嗜好が大多数の人と違うというだけで、それ以外は人として変わりはない」ため、「人としてお付き合いする」べきであるという意見や、共通の話題で盛り上がったり、悩み事を共有したりする「普通のお付き合い」を指します。
「同じ人間だし」特別な配慮は不要で、「差別発言と差別行動をしないこと」が重要だ。
「人としての不快感がない前提で異性愛者と同じように、不快な思いをさせないように発言には気をつけます」としつつも、それ以上は「特に何もしませんし何も思いません」という姿勢。
「興味が薄い」から「特別な配慮をする時点で差別とか区別とかという議論になる」と捉える意見。
「個人そのものを見るので、性的な話でも楽しく話してます」と語る友人の事例。
「恋愛対象でもない限りただの他人」として「ひとりの人間として考えたとき、ジェンダーはマイノリティでもマジョリティでも大差ない」とし、仕事や趣味、社会現象といった「様々な時間を共有する時に、その分野の理解度や想い、楽しさを大切にしたい」と、セクシャリティ・ジェンダーを「取るに足らないことだ」と見なす考え方。
「特別に配慮することはありません。ただただ私との関係性に合わせて対応が変わるだけです」と、相手の性自認ではなく、個人の関係性に合わせた敬意を払うべきだという意見。
🟦「配慮しないこと」が配慮・自己責任の重視
過剰な配慮をしないこと自体が配慮である、あるいは特別な扱いをしないことが平等につながるという考え方です。
「何か配慮して欲しいと言うのは配慮の強要です」と述べ、「嫌なら嫌だと言えばいい、嫌なら次から参加しなければいいだけの話し」と自己防衛の重要性を強調。
「健常者と同じで良い」「ただの人間と人間で、上にも下にも見ない」とし、「LGBTQ+だからといって下駄を履かせる理由は無い」という意見。
「何もしないのが配慮」であり、「障がい者の方にも同じことがいえますが。健常者でもなんでも、その方たちがして欲しいことで、良識の範囲内のことなら、みんなで協力してできたらいいのでは?」という考え。
「配慮を意識しないこと」が大切であり、「困っていたら、そこへの配慮はする、みたいな感じ」と、特定の属性ではなく、困っている状況に対して配慮する姿勢を示唆する意見。
🟦無関心・不干渉の姿勢
積極的に関わらない、あるいは過度な干渉を避けることが、尊重につながるという考えです。
「放っておくこと。別に特段の配慮をするべきじゃないし、否定もするべきじゃない。好きにしてください以外にないかなぁ」という意見。
「良くも悪くも干渉しないこと」が配慮であるとし、「正直、当事者ではないのでわかりませんが、仮に自分だったら放っておいて欲しいのではないかと思います」という考え。
「あえて、無関心。傷付けることも、優遇させることもありません」とし、具体的には「性的な話題に触れない」ことが挙げられています。これは「事無かれ主義」と自己認識。
②具体的な言動への意識と環境整備:個々の特性を尊重し、社会的なバリアを取り除くアプローチ
このカテゴリは、LGBTQ+の人々との関わりにおいて、より意識的な行動や言葉遣いをすること、あるいは社会的な環境をより包括的なものへと改善していく必要性を認識している意見を含みます。
🟨SOGIの不特定性への意識とプライバシーの尊重
「ろくすっぽ知らない人のSOGIをシスヘテロと決めつけない」ことの重要性や、「目の前の人のSOGIは見た目ではわからない」という認識。
「個々人の性的嗜好(性的指向)を訊かない」「性的な話題に触れない」「相手が表現するまで待つ」といった、プライバシーを尊重する態度。
英語圏での「pronouns(代名詞)を尊重すること」という具体的な行動例。
「普段は、他の皆さんが言うように『配慮しないという配慮』のようなものがいいと思います。腫れ物のように扱われるのは望まれていないはず」としつつも、「LGBTQ+に限らずマイノリティの立場を考え、全く平等に扱うというよりは少し肩入れしたい」という、バランスの取れた視点。
相手のセクシャリティが不明な場合に、「パートナーさんとか、相方さん」といったジェンダーニュートラルな呼称を用いる意識。
「カミングアウトしても問題ない、偏見を持たない人間として振る舞う」ことが「配慮」に含まれるという意見。
「勝手に他の人に言わない(アウティングしない)」ことが最も気を付けるべき「配慮」であるという考え方。
🟨差別的言動の回避と知識の習得
「差別をしない」「相手がなんであろうと態度を変えない事」「色眼鏡で見ない」といった、具体的な差別的言動の回避。
「同性愛者の事を『きもーい!』とか言わない事」という明快な意見。
「『コイツこんなゴリゴリの男みたいな見た目してんのにゲイなんだぜwww』みたいにLGBTQ+の方を揶揄しない」など、特定の個人を貶める表現をしないことの重要性。
「まず、知ること」から始めるべきだとし、「知らないから不安で怪しいものになっていく」と、知識の重要性を指摘する意見。知識は「なんぞや」という基礎から「偏りや誤解、偏見等々がなるべく無いようにしたい」というフラットな視点を持つこと。
🟨多様性への包括的対応と環境整備
LGBTQ+のためだけに特別な配慮をするのではなく、「性別・性自認・性的指向・性的表現、全ての多様性に対応できる環境を作る」ことの重要性を指摘する意見。
更衣室などの性別で分かれている部屋は「話し合いが必要」であり、「職業上は男性だから女性だからは関係ない」「誰でも同じように働ける職場であればいい」と、職場環境の改善を提言。
③懸念・問題提起と批判的な意見:特定の議論や社会動向への異論
このカテゴリは、LGBTQ+への「配慮」や、関連する社会的な動き、政策の推進に対して、疑問、懸念、あるいは明確な反対意見を表明するものです。
🟩LGBTQ+関連政策への批判と優先順位の低さ
「海外からの圧力でLGBT法が拙速に制定された」と感じていること、および「LGBTQ+への理解は海外に比べて進んでおらず、法律を制定することによって起こる軋轢などについて十分に議論されていない」という見解。
具体的な問題として、公衆浴場(「体は男で心は女の方が女湯に入りたい」場合の対応の難しさ)、スポーツ(「肉体は男で心は女の方が女性の競技へ出場して無双している」問題)、同性間結婚(制度改正の複雑さ)が挙げられる。
「経済対策、少子化に伴う社会保険の問題など、これらを差し置いて推進すると言う状況ではないのかな」と、他の社会問題と比較してLGBTQ+問題の優先順位が低いと考える意見。
「同性間の結婚が認められれば少子化は進む」と、同性婚が少子化を加速させるという懸念。
「LGBTQ+を一括りにされてるのが引っ掛かります」「それぞれ考えるべきことがあるように思います」と、LGBTQ+の多様なカテゴリーを一括りにすることへの疑問。
🟩マイノリティへの排斥的な見解
「なるべくお近づきにならないよう配慮しております」と、LGBTQ+の人々との接触を意図的に避けることを表明する意見。
「配慮してほしいなら、そういう人間だけの場所を作る努力したらいい」という、特定の集団の隔離を提案するような意見。
「所詮マイノリティ、抜群のセンスや技術がないものは日陰で暮らす運」という、マイノリティへの厳しい見方。
「公共施設で『区別』『排除』のみです」と、公共空間での排斥を容認する発言。
「女性のスポーツ競技に女装した男が出て優勝したり、女性に配慮なしに女装したり自称すりゃ女子トイレに入れる権利を得る男がいるても大歓迎することかなぁw」という、トランスジェンダーへの嘲笑的な意見。
「僕とは180度意見が違うので関わらない様にする事ですかね」と、意見の相違を理由に関わらない姿勢を示す意見。
「できるだけカミングアウトしないと助かるよね。皆んな口にしないだけで、ちゃんと偏見はある。」と、偏見を前提とした自己隠蔽を求める発言。
「偏見は無意識ですから。それを変えろと言うなら、偏見を受ける側の努力が必要。綺麗事では不可能。」と、偏見の解消をマイノリティ側に求める意見。
※ここからはLGBTQ+当事者の方への強い批判や反感を示す発言が掲載されます。その点を十分に御理解の上、お読みください。
3️⃣倫理的、人権的に問題である発言とその倫理的考察

以下に、倫理的および人権の観点から問題があると判断される発言を列挙し、その問題点を理論的に述べます。
①「なるべくお近づきにならないよう配慮しております。」
【問題点】
この発言は、特定の属性(この場合はLGBTQ+)を持つ人々に対して意図的な回避を示唆しており、これは社会的排除の一形態です。倫理学の観点からは、他者への尊重義務に反します。人権の観点からは、非差別原則(誰もがその属性によって不当な扱いを受けないという原則)に抵触します。特定の集団との接触を避けるという姿勢は、スティグマ化(特定の集団に負のレッテルを貼ること)を助長し、社会心理学的に見ても、集団間の誤解や偏見を深め、分断を招く要因となります。
②「配慮してほしいなら、そういう人間だけの場所を作る努力したらいい✌️」
【問題点】
この方の一連の発言は、分離主義、社会ダーウィニズム、被害者非難という複数の倫理的・人権的問題を含んでいます。
「そういう人間だけの場所を作る」という発言は、LGBTQ+の人々を社会から物理的・精神的に隔離することを提唱しており、人権の平等原則と包摂性(インクルージョン)の理念に反します。人々がその性的指向や性自認によって居住地や活動場所を制限されるべきではないという、基本的自由権と社会権を侵害するものです。
「身体的ハンディキャップでない以上は必要以上に配慮されることもない」「LGBTQ+だから何?同じ知能指数、5体満足」という主張は、多様な人間性の軽視とマイノリティの経験の矮小化にあたります。性的指向や性自認は障害ではありませんが、それによって社会的な差別や排除、偏見に直面するという点で、社会的な不利益を被る可能性があります。ここで言う「配慮」は、障害者に対する「合理的配慮」と同じ枠組みで捉えられている可能性がありますが、性的マイノリティへの配慮は、社会的な障壁を取り除くための普遍的デザインや意識改革に重点が置かれるべきものです。健常者であることのみを基準に配慮の必要性を否定する視点は、社会が多様な人々に対応しきれていない現状を見過ごしています。
「所詮マイノリティ、抜群のセンスや技術がないものは日陰で暮らす運命」という発言は、社会的弱者への冷酷な姿勢であり、社会の責任を否定するものです。倫理学の観点からは、これは個人の固有の尊厳を否定し、生存競争における弱者の切り捨てを容認する危険な思想です。社会は、個人の能力や属性に関わらず、すべての構成員が尊厳を持って生きられるよう支え合うべきであるという社会正義の原則に反します。
「世界を変える前に自身を変えればいい」という発言は、構造的な差別の存在を無視し、差別や不利益の責任を被害者であるマイノリティ個人に押し付けるものです。社会心理学的には、これは公正世界仮説(Just-World Hypothesis)の表れとも考えられます。人権論においては、個人の努力だけでは解決できない社会的な障壁を取り除くことが、社会全体の義務であるとされています。
③「「配慮」は差別です。居るのが普通なので公共施設で「区別」「排除」のみです。この手の犯罪が起きないことを祈ります」
【問題点】
「公共施設で「区別」「排除」のみです」という発言は、LGBTQ+の人々を公共の場から意図的に排除するか、差別的な区別を設けることを容認するものです。これは、人権の平等原則に著しく反します。公共サービスへのアクセスは、すべての人に保障されるべき基本的人権であり、性的指向や性自認によってこれを制限することは、直接的な差別にあたります。また、「この手の犯罪が起きないことを祈ります」という言及は、LGBTQ+の人々の存在が、あたかも「犯罪」と関連付けられるかのような不当なレッテル貼りであり、偏見を助長し、潜在的なハラスメントや暴力の正当化につながりかねません。
④「女性のスポーツ競技に女装した男が出て優勝したり、女性に配慮なしに女装したり自称すりゃ女子トイレに入れる権利を得る男がいるても大歓迎することかなぁw」
【問題点】
この発言は、トランスジェンダー女性(性自認が女性である人々)に対する極めて攻撃的かつ差別的な見解を示しています。「女装した男」「自称すりゃ女子トイレに入れる権利を得る男」という表現は、トランスジェンダー女性の性自認を否定し、彼らを「女装している男性」と誤認させ、詐称者であるかのように貶めるものです。これは、個人の性自認の尊重という人権原則に反し、ミスジェンダリング(性別の誤認)差別的態度を助長し、社会における彼らの安全と尊厳を脅かすものです。
⑤「ただ、生物学的な性の区別は分けます。トイレの使用に関しては、性自認がなんであれ、生物学的な性別でのトイレを使用してほしいです。」
【問題点】
この発言は、トランスジェンダーの性自認の尊重に反し、公衆浴場やトイレのような公共空間における彼らの尊厳と安全を侵害する可能性があります。「性自認がなんであれ、生物学的な性別でのトイレを使用してほしい」という主張は、トランスジェンダーの人々が、自らの性自認と一致しない性別のトイレを使用することを強制するものです。これは、多くのトランスジェンダーの人々にとって強い精神的苦痛(ジェンダー・ディスフォリアの悪化)を伴い、プライバシーの侵害、嫌がらせや暴力の対象となるリスクを高めます。彼らが性自認に基づくトイレを利用することは、自己表現の自由と個人の尊厳にかかわる問題です。倫理的な観点からは、このような区別は、個人の自律性を尊重せず、特定集団への不利益をもたらすため、公正(justice)の原則に反します。
⑥「正直なところ海外からの圧力でLGBT法が拙速に制定されたと考えます。あくまで僕の感覚では、LGBTQ+への理解は海外に比べて進んでおらず、法律を制定することによって起こる軋轢などについて十分に議論されていないと考えてます。例えば公衆浴場問題やスポーツ、同性間による結婚などです。」
【問題点】
この発言には、法制定の背景の矮小化、人権保障の優先順位の軽視、根拠のない言説による偏見の助長という問題が見られます。
「海外からの圧力でLGBT法が拙速に制定された」という主張は、法制定の背景にある国内の当事者の長年の運動や社会の必要性を軽視するものであり、人権保障の自律性を否定するものです。
公衆浴場やスポーツ、同性婚に関する懸念は、社会的な議論の対象となり得るものですが、「国民レベルでの理解が進んでいないのに、法律は先走っている」という文脈で語られることで、法的保障の必要性を軽視し、マイノリティの権利保障を遅らせることを正当化する可能性があります。人権保障は、社会の「雰囲気」や「理解」が完全に醸成されるまで待つべきものではなく、国家が積極的に保障すべきものです。
「経済対策、少子化に伴う社会保険の問題など、これらを差し置いて推進すると言う状況ではない」という発言は、LGBTQ+の人権問題を他の社会問題と対立させ、その優先順位を下げるものです。人権は、他の政策課題の達成を条件として保障されるものではなく、普遍的かつ不可侵の権利であるという原則に反します。
「同性間の結婚が認められれば少子化は進むと考えられます」という発言は、同性婚と少子化の関連性について根拠のない主張であり、同性カップルに対する誤解と偏見を助長する可能性があります。少子化の原因は複雑であり、同性婚が認められた国々で少子化が進んでいるという明確な科学的根拠はありません。むしろ、同性カップルが養子縁組や生殖補助医療を通じて子どもを育てるケースは存在し、多様な家族の形態が社会の活力となりうるという視点が欠落しています。これは非科学的かつ差別的な言説であり、家族の多様性を否定するものです。
⑦「逆に配慮すべき。こちら側が配慮する必要など全くない。できるだけカミングアウトしないと助かるよね。皆んな口にしないだけで、ちゃんと偏見はある。」
【問題点】
この発言は、自己隠蔽の強要と偏見の責任転嫁という倫理的・人権的問題を含んでいます。
「できるだけカミングアウトしないと助かるよね」という発言は、LGBTQ+の人々に自己隠蔽を強いるものであり、自己受容や自己開示の権利を否定するものです。これは、個人の尊厳と自己決定権を侵害し、社会的な圧力を通じて彼らを「見えない存在」として扱うことを促しています。カミングアウトは個人の選択であり、それをしないことが「助かる」という発言は、社会に存在する差別や偏見を暗に肯定し、その負担を当事者に押し付けています。
「偏見を受ける側の努力が必要」という発言は、差別や偏見の責任を被害者であるマイノリティ個人に転嫁するものです。社会心理学的に見て、偏見は個人の内面だけでなく、社会的な規範、メディアの描写、教育など、複合的な要因によって形成されます。偏見を変える責任は、主に偏見を持つ側と、それを是正する社会全体にあります。この発言は、構造的な差別の存在を無視し、被害者に不当な負担を負わせるものであり、人権における社会の責務に反します。
これらの発言は、個人の尊厳を損ない、社会における不平等と排除を助長する可能性を秘めています。倫理学、人権論、社会心理学のいずれの観点から見ても、これらの発言は、多様な人々が共生する社会の実現に向けた課題を示すものと言えるでしょう。
以上が、『NotebookLM』が導き出した回答です。
4️⃣少し種明かし

多くの方からご意見をいただけるようになり、コメントが3つ程度いただけるようになった時点で、以下の点に注意し対応しました。
ボク自身の倫理観や哲学、また個人的な“思い”を表出せず、また、共感も示すことなく、淡々と事実確認を行っていきました。
やり取りの最後には、「ご意見をいただけたことに対してのみ」お礼をお伝えし、エコーチェンバー現象を引き起こさないことを心がけました。
各々のご回答に対し、できるだけ時間を空けず、熱量を維持することに注意しました。
最終的な分析は、NotebookLMのAIに任せることを念頭に置き、曖昧な概念や思考、感情に対し具体例などを提示していただくことで、AIが学習しやすいよう配慮しました。
実は「配慮」という言葉を用いようかどうしようか迷いました。それは、ソコには必ず「カミングアウト(開示)しているかどうか」が問題になるからです。
最近のジェンダー・セクシャリティ・SOGIに関する話題には「中立的な言葉の選択」が議論になることが多いのですが、それは、対象者のセクシャリティが不明でも対応可能、というのが利点だと思います。
つまり、「対象者がカミングアウト(開示)していなくても可能な“配慮”」です。
一方で、「対象者がカミングアウト(開示)している時に必要な“配慮”」もあるはずです。
回答者がそのどちらにフォーカスして回答するか、という興味もあり、あえて『配慮』という言葉を用いました。
🏳️⚧️終わりに🏳️🌈

なぜ今回、この様な記事を執筆したかというと、LGBTQ+に偏見を持つ人や差別行動をする人を、避難・攻撃するためにしたわけではありません。
それは、偏見や差別のない人間なんて一人もいない、と思うのがボクのスタンスだからです。
だからといって、それを容認するわけでもなく、この様な記事を通して、今一度、ご自身の振り返りになっていただければ…と思ったからです。
以下は以前、ボクが執筆したLGBTQ+に関連した、もう一つの記事です。併せてご一読いただけると幸いです。
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