ままならないことばかりのワーママ──『共働きサバイバル』読書感想文(前編)
[過去の読書記録]
5年前の雑記帳から一つ掘り起こしてきました。
「自分の将来が見えない」「家庭と仕事の両立でとにかく時間がない」「慣れない業務を始めたばかり」「自分の仕事に十分な裁量がない」
家庭と仕事の両立が一番キツかった時期を少し乗り越えた頃かな。
過去振り返りワーキングマザーネタはもう一本書いています。
こちらもご覧ください。
書籍データ
5年前の所感
東洋経済で共働き特集が組まれていたので読んでみた。働きながら子育てするのには、本当にいろいろな壁がある。
長男の育休明けから7年間、働きながらの子育てに取り組んでみて、痛いほどわかる。
特に子どもの病気の時は、ものすごくいろいろなジレンマと戦わなければならない。
デスクトップ型のパソコンを使用していて、テレワークができなかった2010年生まれの長男の頃と、反対にどこでも仕事ができるようになっていた2013年生まれの長女の頃で悩みも少しずつ違ったけど。
長男の時は、
とにかく「病気されると何もできない感」が半端なかった。
繁忙期にも関わらず「仕事今週まったく行ってないや何やってんだろう」と指をくわえて見てるしかない虚脱感からスタートだった。
だから、明らかに朝具合悪そうなのに、打ち合わせがあるからって無理矢理預けちゃったり。
前日の夜からすべてのパターンをシミュレーションして分単位で保育園と病院と病児保育はしごしてようやくアポ時間にギリ間に合わせる半端ないプレッシャー。
「一生懸命やってもやっても仕事も子育てもいつも中途半端」って、自分の中に漂う悲壮感。
こんなに休んで仕事回ってこなくなるんじゃないかという焦燥感。
「あーベビシッターとか病児保育使っちゃった今日の給料全部そっちいったよねー」って、なんのために働いてるんだろう感。
長女の時は、環境が変わって仕事が家でもできるようになっていた反面、
電話やメール応対に追われる片手間で子どもの看護してる時にふとよぎる、「ほんとうにこれでいいの?」感なんてものがあったなあ。
いずれにしても、ずっと思っていた。
何で私だけこんなに駆けずり回らなきゃならないんだよ、夫どこいったフザケンナって。
「だって時短でしょ?」
っていって、全然サポートしてくれなかった。
子ども寝かしつけた後に私が残業してるの見てるのにね。
※今は彼も変わりました。私が変わることで。
当時は夫はそんなんだし、金もたくさんあるわけじゃないし、両方とも両親は新幹線の距離だし、だから自分でなんとかするしかなかった。
だからこそ、私は変われたのかもしれない。
子供が産まれてから変わったこと
業務時間への考え方は180度変化した。
「より短い時間で同じことができるなら、それで問題ないでしょう」と。
それに伴って、仕事に集中するオンと、プライベートのことしか考えないオフとのメリハリがきちんとつけられるようになった。
うちの会社は裁量労働制を採用しているが、これは共働き夫婦にとって良い制度だと思う。子育てを経て、定時という概念がすごく効率悪いなと感じるようになっていたから。
私の仕事には山谷がある。だから「やる時やります。ない時帰ります」と裁量労働をいい感じに使えていると思う。
仕事に正解はないし明確な終わりもない。杞憂や不安で無駄なことも含めて必要以上にやり込んでしまって、意識していても業務過多になることもある。
けど、それは仕事で力を入れるべきポイントや優先度を整理できない自分自身の未熟さでもあるのだと思う。
クライアント(とその先のユーザー)が満足すれば、途中経過である私の自己満足なんてどうでもいいんだから。
世の中が裁量労働にシフトすることで、「働かされすぎを懸念」されているが、これからは個々人がきちんと自分の仕事のあり方を主体的に考え、判断していくべき時代なのだと思う。
「働かされすぎる」そんな受け身で未熟な社会が続くのであれば、もう本当に終わりだよね。
いつまでも同じことをやっていて存続できる組織なんてあるわけないのに。
現状を安住の地であるかのように捉える人間ばかりで構成された組織は、現在進行形で崩壊していっているというのに。
子どもって、思ったよりも自分に与える影響力が大きい。
子どもがいなかったら、自分の仕事のやり方に対してここまでシビアに考えることもなかっただろうな。
後編では、チェンジしたマインドの具体例(5年前の内容)を書きます。
