短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(89) 解釈の奴隷
前回のエモ山👇
たとえば通勤中、
乗り物の中で、
ま、俺の場合はバスなんだけど、
O井町駅から、『利害関係調査委員会』ガリラヤ倉庫に向かうバスからは、
ビルのあいだに川が流れていて、
その川はコンクリの壁に両側から挟まれてて、
コンクリ壁の間を、ただ水が流れているだけのように見えるとき、
それは一体川なのか、
コンクリ壁の間を、水が流れているだけじゃないのか、
「それを『川』と呼ぶのかい?」
なんてことも考えたりして、
「川ってなに?」
っていうような気持ちになるとき、
その「川」はバスが走る地面より低い位置にあり、
バスと同じ地面にはビルが、でこぼこ建ちならび、
そのビル群は、昨日見たビルと何ひとつ変わらない光景として、
窓の外を「流れ」、
「つまり俺はこのバスに乗り、地面を流れていることになるな」
ということに気づくと、
「俺ってなに?」
となる。
サピックスの理科の授業でならったのは、
「川」の「侵食」。
水の流れは、
川底を、川岸を、やすりみたく削っていき、
谷を作ったりもするし、
滝になって垂直落下することもあるし、
うねうねカーブには土砂が堆積し、
海に出ようとするときに、要らない土砂を置いてって、
そこには三角州なんてものができたりもする。
天才少年エモ山クンが、一生懸命にお勉強した「川」とはそれである。
さて、ここで問題です。
「クエスチョン」
俺は護岸を削っているか。
俺は護岸を削っているか。
「いや、」
俺は座っている。
マイクロバスは、満員さ。
いつものメンツと通勤さ。
俺の座席は窓際さ。
朝の光が俺をさし、
ワイシャツの表面は、けば立って見えるよ。
洗いざらしのノンアイロンワイシャツは、
買った頃にあった、繊維の怜悧なととのいが、
すでにほぐれつつあるのだ。
布というものは細い糸で編まれている。
細い糸はもっと細いものが撚られている。
ノンアイロンワイシャツが、くたびれてくるとき、
それは、
糸をつくる「もっと細いもの」のくたびれなのだろうか。
俺はバスに乗って運ばれている。
これからお仕事に行くのです。
「3万円に、なるのです」
削るかな。
削っているのかな。
あ、
バスがブレーキをかけました。
俺たちはがくんと身を揺らします。
俺のアパートの部屋には、
銀色の金属バットが転がっている。
俺はそれを知っている。
きっと今ごろ、
バットは俺の部屋の中で、
朝日を反射して、鈍く光っている。
そこは俺の部屋なので、
俺が手に取らぬかぎり、
バットはそこから動かない。
それは動けない。
しかし、光だけは移動できる。
銀色の表面を、
音もなく移動できる。
削るかな。
削っているのかな。
もしかすると削っている。
しかしそれは俺には見えない。
円筒形の表面を這う光は、
楕円のかたちをしておとなしい。
その楕円の光は、
俺が仕事するあいだに、
やがて落ちゆく太陽の動きに準じて、
徐々にその楕円の輪郭を、
小さくしていき、
ぶつん、
と、いなくなるだろう。
あ、
バスが走り出しました。
俺たちも流れ出します。
どこへ?
「そりゃーおめーアレに決まってんだろアレに」
ニックがタモを振り上げた。
「オバケ!」
ニックがしぱぴんしたタモの先が、
俺の耳の横すれすれをかすめて、
ひゅん、
と音を立てた。
そして遅れて飛んできた、水しぶき。
俺は頬を手で拭う。
自分の頬が冷たかった。
「ゴミ収集所に、そんなものが?」
いーだ課長は、
俺からタモを受け取りながら言う。
「『やめろやめろマン』とでも、名づけようか」
ね。
って穏やかに、俺を見るけど、
「あれ」を「やめろやめろマン」と、呼べるかい?
俺はうなずくことができない。
「俺なんかそんなの、見たことねえぜ」
とニック。
「『これ』で」
と、片手でタバコを吸う仕草をしながら、
「ちょくちょく行ってるけど」
「エモ山くん」
つと顔をあげ、いーだ課長が尋ねた。
「収集所は、いっぱいかい?」
俺はうなずく。
俺の頭には、しゃんしゃん列車に乗りこんだ、あまね君の姿。
「今月は、まだ来てないようです」
するといーだ課長は、俺から目をそらし、
「そのことば、ドキッとするなあ…」
遠くに目をはせて、作業着の胸に軽く手をあて、つぶやいた。
そしていーだ課長は、
いつのまにか背後に、沼田ミソギが来ていることに気づく。
沼田は、苦々しい表情で、いーだ課長の横顔を見つめていた。
いーだ課長は、動かなくなった。
「俺はこわくないぞう!」
この空気のわからぬニックがタモを振り上げた。
「そんなのがあらわれたら、」
プールにタモをつっこんで、
「こうしてやるぞ」
両手で持ったタモの、
水でひたひたになった網部分を俺に向け、振り下ろそうとし、
「あ」
沼田に気づき、動きを止める。
けど、沼田は気づいてない。
そのとき俺の耳元に、囁いてるとこだったから。
「あまね君が今」
沼田のせり出した腹が、俺の腰に触れた。
「冬眠中なの」
「トーミン?」
俺は沼田の腹から、腰をずらした。
俺たちに背を向けたいーだ課長が、
こっちに顔だけ振り向いていた。
「それはいったいどういうことですか」
俺が沼田の目を見ると、
「冷てっ」
タモから水を浴びたニックの声が聞こえ、
いーだ課長がハッとした。
(続きます)
