短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(88) どす黒い男
前回のエモ山 👇
ちらっと見たかぎりだけど、
若干どす黒いというか、
まあもしかすると、そいつが立ってるのが、
真っ白いゴミ袋の山の前だったからかもしれないけど。
「産廃」って印刷された緑色の文字は、
ゴシック体だから四角くて、仁王立ちしてるみたく見える。
だけど印刷されてるのがゴミ袋。
ゴミ袋の素材はポリエチレンだから、
砂がぱんぱんに詰まってればピンと張ってるし、
そこまで入ってなければひしゃげてるし、
なのでその表面に印刷された緑のゴシック体も、
胸張って仁王立ちしているのもあり、
パーツが欠けたみたくひん曲がってるのもありで、
同じかたちのはふたつとない。
ピンと張ったやつらの、
その、
仁王立ちしてはいても、
その仁王立ちが、
アニメで見る金棒持った鬼がするみたいな、
平板で、コミカルで、なにかひとつすっぽり抜けさったあとみたいな感じがあるのは、
やっぱりゴシック体だからなのかもしれないし、
ゴシック体ってのはやっぱりちょっと、
はめこまれてるっていうか、
なのに仮面性があるよね。
これに騙されちゃいけないんだよ、って気持ちで、
視界に入ってくる、緑のその文字を、
俺は視界の隅に置いたまま、
なんだかこの男もそうだよなあ、って、
その男のこともまた、
視界の中に置く。
蛍光灯の冷たい光を反射して、
ゴミ袋の白色は、発光。
それを背にして立つこの男の
黄色っぽい肌を、どす黒く見せていた。
「ぼくに訊くなよ」
表情をゆがませて、男は言った。
眉間に寄った皺は細く深くめり込んで、その両側の、厚い肉がこんもりと隆起した。
肉のもりあがったところに散らばった、黒い毛穴は、
男が眉をしかめると、急にふんぞり返り、ちょっと輪郭を大きくして自分を誇示するようでいて、
だけど毛穴って、整列して見えるし、
だからその誇示には、
威圧感というよりは、
古くなった油が、
はじめは持っていたぬめりという自由のかわりに、
石になる時間を選んだような、
そういう種類の損得勘定を、
単に目立たせているだけだ、って気がして、
「そのへんに、置いとけよ」
そして俺が持つゴミ袋を顎でしゃくり、
俺からそらすその目は、
ここではない、どこか遠くにある、なにかへの怒りに満ちている。
俺の手は、ゴミ袋の砂の重さで、
まあ、プールの水で濡れていたからということもあるし、
俺が、ゴミ袋の結び目と袋本体のあいだに少しだけできるすき間に四本指をつっこんで、バッグみたくそれを持っていたからというのが理由なんだけど、
引きちぎれそうだったし、
目の前のゴミ袋の山は、
積み上げられた袋がピラミッド型を作っていて、
そのすそ野は両側とも岬のように伸び、
抱きとめようとする両腕みたいに俺たちを囲っていた。
このゴミ収集所に、
砂のゴミ袋がこんなに貯まるのは、
俺にとってははじめてで、
いつもなら、
この袋たちは、
あまね君たちが適宜、
月一くらいのペースで運び去っていくはずで、
それを運んでいくのは、
「しゃんしゃん列車」と呼ばれているものらしいんだけど、
俺は実は、まだその列車を見たことがない。
抱きとめようとする両腕の、
右腕の、わきの下にあたるくらいの位置に、
俺はゴミ袋を置いた。
するとゴミ袋の山は、
その両腕の間隔をきゅっとせばめ、
俺たちを、
ほんとうに、抱きしめにかかっているようにも見え、
それだけで、
時間がぐっと一歩前に進んだような、
次のコマに移ったような、
そんな感じがして、
ゴミ袋の重みで外れそうになっていた指の関節が、重みから解放され、
赤くジンジンと、血流を再開させ、コマの飛躍に追いつこうとしてでもいるようだったんだけど、
そのリズムは、上滑りのように早かった。
「あっす」
俺は男に、いちおう、あいさつのようなものを見せた。
すると男は、さらに眉を寄せ、
黄色い頬をこわばらせたように見えた。
「なんだよそれ」
男が俺に言った。
「なにが言いたいんだよ」
「あっす」
「だからさあ」
男は目を閉じて、かくっと真横に、頭を傾げた。
眉間の皺は、深くなり、ぞうきんを絞るみたいだった。
しかし皮膚は固く、ぞうきんからは一滴の水も出てこない。
黒い毛穴がじんわりと、油をにじませるだけ。
目を閉じて、頭を傾げたまま、
男は、
しばしそのままの姿勢で、
時が過ぎるのを待つようなしぐさをした。
そして再び目を開けた時、
男は、
まるで、自分の目の前に、
俺がいることに、少し驚いたように、
頭をかしげたまま、
眉間の皺を緩めた。
つまり、それはあとからわかったことだけど、
そいつが目を閉じていたあいだに、
俺はそこから立ち去っていたほうがよかった。
なぜならば、男が急に、
腹を殴られたあとみたく、背中を丸めたからだった。
それは、
俺を見る男の目に、
一瞬きらりとなにかがよぎったあとのことだった。
「やめろ」
男がそう言ったとき、
それは意外と大きな声で、俺の鼓膜はバキッと鳴った。
丸めた背中を、背後のゴミ袋にあずけて男は、
「やめろよ」
と、もう一度言い、目を閉じた。
背中をゴミ袋にぴたりとくっつけて、
がくんとうなだれた。
その姿で思い出したのは、
いつか、電車の終わった駅で見た、酩酊人間。
駅前広場をかこむビルや店が、つぎつぎ明かりを落としていくと、
徐々に暗さを増していくなかで、
青白い電灯が横並びに灯ったままの駅は、
しだいに浮かび上がるようにして見えてくる。
そこに酩酊人間は、
蛾のように、光に吸い寄せられた体を、
蛾のように、高架の壁にはりつけて、
蛾のように、ひたりと目を閉じている。
酩酊の中に時間というものはなくて、本人は、それをたぐり寄せることができない。
俺の目の前にいる男は、酔ってはいないようだったけど、
飲んでもいないのに酔っぱらってるような、
しかしそれはすこしも楽しくない酔いで、
ひたすら失われるだけの状態で、
仁王立ちみたく立った両脚だけが、その身体を支えてて、
そういう芯の張りかたというか、
せめてもの抵抗みたいなのが、
酩酊の中にある人間が、電車の終わった駅前で、
朝日がのぼるまでの数時間、ただぐるぐると回るだけで進まない時間の中で、強い酒に奪われて、しがみつくほか手立てがない姿と同じに見えたというか、
なににしがみついているのかというと、「現実世界」みたいなものなんじゃないかな、なんて考えて、
ま、俺、酒飲まないから知らないけど、いつまでもわかんねえけど、なんて、駅前を歩きすぎたことあったね、などという記憶もよみがえってきて、
「やめろよ」
って言ったのは、
だから俺には、
「しがみつかせろよ」
と言ったのと、同じに聞こえた。
この男はここにいたいんだろう、と、俺は思った。
そして俺はそのとき、
男が首から提げた入構証のホルダーの、
カードが入っているはずの、ビニールのケースが、
からっぽだってことに気づいた。
そこはすこし、奇妙だったね。
といってもそんなこと、
俺には関係ないわけで、
手のジンジンもおさまってきたとこだったし、
送迎バスの時間も気になり、
さっさと立ち去ろうというところで、
「あっす」
って、言わないようにして、
立ち去りかけたら、
男がその瞬間、
うなだれてた頭を、
ぐいっ、
と上げた。
俺が踏み出した革靴の底が、
じょりっ、
といったのと、同時だった。
どす黒い。
と、俺は思った。
男の顔が、さっきよりさらに、どす黒かった。
黄色っていうのは、
血の色と、
白と灰色でできてるんだな、って、
俺は思った。
男の皮膚の色、
はじめ、黄色みがかって見えてたその色は、
今はゴミ袋と同じだった。
砂でぱんぱんに膨れ、
うっすらと、砂の色をうつした、白いゴミ袋。
若干の黄色みは、
男の皮膚の下を流れる血で、
それはまだこの男の身体をめぐっている。
山積みになったゴミ袋のほうが、
まだましに見えた。
俺は思わず自分の手のひらに目を落とし、
まだ赤みの残る指の関節を、
親指の爪でこすりながら、
この男は死にかけているのだろうか、と思った。
あるいはゴミ袋なのだろうか。
「俺に訊くなよ」
男が言った。
「そのへんに、置いとけよ」
俺の手を見て、顎をしゃくる。
「なんだよそれ」
俺の表情に気づいて、苦く笑う。
「なにが言いたいんだよ」
「あっす」
「だからさあ」
男は身体をそびやかし、
俺を見つめた。
そういえばさっきから、男の立つ位置が、ちっとも変わらない。
からっぽのカードケースの、古びたビニールに、
四角いカードのかたちの跡と、
カードから色移りした、顔写真と名前の印字の残像が、
うっすらと見えた。
「やめろ」
男が俺に言った。
「やめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろ」
俺はしがみつく。
あまね君よ、しゃんしゃん列車よ、と祈るような気持ちで、
まだ聞いたことのない列車の音を遠く聞きながら、
急いでそこを立ち去った。
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