短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」 (13) 全人類AV男優化計画
これまでのエモ山👇
「『プラダを着た悪魔』を知っているか」
アパートで俺は女に尋ねた。
観たことが、ではなく、知っているか、と尋ねた。
「はい。知っています」
女は答えた。
「『プラダを着た悪魔 (The Devil Wears Prada)』は2006年のアメリカ映画で、原作はローレン・ワイズバーガーの同名小説。舞台はニューヨークのファッション誌業界」
「ふーん」
「ポイントだけ簡潔に整理します」
「Come on, let’s drop it!」
・主人公 アンディ(アン・ハサウェイ)が、一流ファッション誌「RUNWAY」の編集長 ミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)のアシスタントになる。
・ミランダは冷酷で、理不尽な要求を次々と出してくる「悪魔」として描かれる。
・アンディは最初ファッションに関心がなかったが、仕事のために自分を変え、ファッションに染まっていく。
・その過程で、恋人・友人・自分自身との距離が生まれ、自分は何を大切にするのかという問いに行きあたる。」
床にあぐらをかいた俺は、かゆくなってきた膝頭をこりこり掻きながら聞いていた。
なんでも知っているこの女を、どうしても好きになれない理由を考えながら。
「じゃあ次」
膝頭を掻きながら俺は言った。
「『ゴッド・ファーザー』」
女はすまして答えた。
「『ゴッドファーザー (The Godfather)』は1972年公開、フランシス・フォード・コッポラ監督。原作はマリオ・プーゾの小説。映画史の中でも「権力・血縁・継承・沈黙・暴力」の描写において、ほぼ教科書的存在です」
俺は膝頭がかゆかった。
女はしれっと続けた。
主要人物と核のテーマ:
ヴィトー・コルレオーネ — “家族”と“システム”の象徴。暴力を隠し、交渉と影響力で支配する『古い秩序』。
マイケル・コルレオーネ — 本来は『家業から距離を置いた』知的で穏やかな青年。しかし家族を守るために、ゆっくりと闇の中心に降りていく。
物語の本質は、**マイケルの『堕落ではなく、完成』**にあるとよく言われます。
悪に堕ちたというより、家族を守るために必要な計算・冷酷・沈黙を『自分の中にインストールしてしまった』という構造
「家族を守るため?」
俺は膝頭を掻いていた。
「ゆっくりと?」
ぼりぼりぼりぼりと掻きつづけていた。
「ゆっくり?」
しだいに耳の中もかゆくなってきた。
「俺は映画に詳しいわけじゃないが」
俺は女に言った。
「『ゆっくりと』ってのは、違うと思うんだけど」
「そうですか?」
「そこを平均値みたいに言われちゃうとさあ…」
とまで言って、ことばを止めた。
こいつにそんなこと言ったって、わかんないだろうから。
俺はゆっくりと女に向きなおると言った。
「おまえの説明によると、『プラダを着た悪魔』も、おもしろくなさそうだな」
「いえ、おもしろいです」
「何かが足りない」
「おもしろいわ」
「おまえがつまらなくしている」
「おもしろいわ!」
俺たちは、しばし見つめ合った。
女はなよやかに首を傾げ、俺に微笑んだ。
「おもしろいわ。あなたが」
「俺が?」
「この二つの映画を出してきたこと」
女のことばは、俺をくらっとさせた。
女が俺を「見ている」ような錯覚。
俺の心を「読んでいる」ような錯覚。
俺を「知っている」ような錯覚。
こんな説明しかできない女に、俺は幻惑されていた。
「二つの映画の共通点は何か。教えてさしあげましょう」
女は言った。
「・カリスマ的な『支配者』(ミランダ / ヴィトー)
・その“帝国”で働く者が受ける『洗礼』
・『外の世界にいたもの』が内部に取り込まれ、自分自身を変形していく
つまり、両作とも権力“文化”の継承の物語…」
俺は女を遮って言った。
「だったら『スターウォーズ』も同じではないか」
「うふふ」
女が笑う。
「そうだわ。同じだわ」
女が俺を見つめた。
「あなたって、天才」
女という記号に、俺はめっぽう弱い。
しかし。
だからといって、天才と褒められたのに気を良くし「がはははははは」と笑いながらチャンスとばかりこの女を押し倒したりはしない。
「俺は元天才少年だ」
俺は静かに答えた。
俺の中の錯覚は消え、膝頭も耳の中もかゆいままだった。
「元天才少年は、映画の話がしたかったんだけどねえ」
「うふふ」
「構造の話なんざぁ、したかなかったのだがねえ」
女は身を乗り出した。
「次は何の映画の話をします?」
「いや、下がってよろしい」
俺は答えた。
「おまえはエモツイート量産作業に戻りたまえ」
小指で耳をほじくりながら、俺はヘレン・ケラーのことを考えた。
ウォーターのドロップイット。
その日、俺は「利害関係調査委員会・ガリラヤ倉庫」でプールの水をさらう仕事をしてきた。
濾過課の丸いプールに浮かんでくる砂粒を、タモで取り払う簡単なお仕事だ。
プールサイドにたまった砂粒はワイパーモップで集め、白いゴミ袋につめる。
ぱんぱんに膨らんだゴミ袋を俺はゴミ集積所に運んだ。
そこでAIお針子と名乗る人形みたいな人間に会ったのだ。
俺は考えていた。
砂粒の詰まったゴミ袋をゴミ収集所に運びながら。
砂なんだから海に捨てればいいのに。
ガリラヤ倉庫は湾岸沿いに建つ。海がある。
しかし東京湾には砂浜というものがほとんどない。
毎日こんなに砂が出るのなら、これで砂浜を作り、偽のヤシの木などを植え、カフェを置き、甘味を出し、そこでチルな曲など流せば女子が写真を撮りに来るだろう。
その写真を見た別の女子が同じ写真を撮りに、あちらから、こちらから、集まってくるだろう。
そうやって女子を集めれば、やがて男子も集まって来るだろう。
運が良ければ、新しい関係が始まる。
物語だって創れる。
タイマン張る腹さえ決められれば。
それでいいではないか。
それでいいではないか。
けれど砂は捨てられる。
そして俺は金を手にする。
砂をさらい、ゴミとして捨てるだけで俺は日給3万円を手にすることができる。
わけあり明太子を放れば明太子は消え「わけ」だけが浮かび上がってくるあの濾過課プールからすくいあげたこの砂、ニックはゴミだと言っていたが。
しかしこれ、ほんとうにゴミなのか。
「あんた、『全人類AV男優化計画』について、どれくらい知ってる?」
AIお針子は俺に尋ねた。
ぱんぱんに膨らんだゴミ袋が積み上げられたごみ収集所の、ぱんぱんに膨らんだゴミ袋とゴミ袋の間に、はさまった状態で尋ねてきた。
見える部分から判断すればおそらくは人間。
しかしどことなく人形っぽかった。
「全人類?」
どこが人形っぽいのかな。
俺はAIお針子をじろじろ眺めながら考えた。
「AV男優化計画?」
俺はつぶやくと、お針子から目をそらし、ゴミ袋の山に目を向けた。
白いゴミ袋には「産廃」の緑色のゴシック体が記されていた。
ひしゃげたり斜めになったりした「産廃」の緑文字が、俺を取り囲んでいた。
集積所は薄暗く、壁は白だった。
一方の壁の両開き戸はところどころペンキが剥げ茶色く錆びており、二枚の扉の間から差し込む外光が細く縦に伸びていた。
ぷーん。
羽音が聞こえ、それは近づいてきた。
真っ黒いでかいハエが俺に向かって飛んできたのだ。
羽音は消えた。
でかいハエは、俺の頬に、ぴたっととまっていた。
俺は考えていた。
俺の頬の違和感は、でかいハエのせいか。
俺の頬がかゆいのは、ハエのせいか。
俺の皮膚に貼りついて、俺の汗の上で手足をこすり合わせているこのハエのせいか。
俺はでかいハエを手で振り払った。
ハエが逃げても、頬の違和感は消えなかった。
違和感は、俺の皮膚で、線香花火のようにじりじりしていた。
俺は爪の先で頬を掻きながら考えた。
こういうとき答えるべきことばはひとつだけだった。
「ほかの人に聞いてください」
「やだあ、もう」
俺が立ち去ろうとすると、ゴミ袋の山が、がさごそ音を立てはじめた。
ゴミ袋のすき間から、AIお針子が出てこようとしていた。
「じゃあさあ」
小さな肩を左右に揺らし、ゴミ袋の間からAIお針子が上半身を出す。
両側のゴミ袋に手をつけて、下半身を引っこ抜く。
すとん。
「ねえ」
地面に降り立ったお針子は俺を見上げた。
「『プラダを着た悪魔』の続編ができるって、ほんと?」
「は?」
それが映画のタイトルであることくらいは知っていた。
しかし俺は、『プラダを着た悪魔』を観たことがなかった。
つまり俺にとって『プラダを着た悪魔』は単なる『プラダを着た悪魔』ということばだ。続編が、もしあったとしても、それはただ『プラダを着た悪魔続編』ということばだ。
「それも」
子供のように手足の細いお針子を見下ろし、だから俺は答えた。
「ほかの人に聞いてください」
AIお針子は、けたけたと笑った。
「WiFiとんでないんだよねー。ここ」
俺の体をつつき、にやにやした。
「知っててもらわなくちゃ困るよ、もー」
AIお針子は、俺の周りをスキップし始めた。
「彩度アゲアゲで、いい感じでお願い~!」
こいつは一体なんなのだ。
自分の体のまわりをスキップされると、ひとは一歩を踏み出せなくなる。
俺は俺の周りをスキップする小さい人間を呆然と眺めていた。
AIお針子のワンピースの裾が揺れた。
お針子が跳ねた時、背中側のタグにファストファッションのロゴがちらりと見えた。
明らかにサイズの合っていないワンピースは、細い体が跳ねるたび、ほんの少しだけタイミングをずらし、ごそっと上下した。
欠落。
という文字が、俺の頭に浮かんだ。
いい欠落と、よくない欠落。
欠落ってのは自分じゃ気づかない。
人間には、いいものと悪いものが混在する。
「らんらら~」
AIお針子が、ゴミ収集所をスキップしていた。
その姿は、人間らしいのに、人形のようでもあった。
俺は思った。
こいつには、なにかの魔法がかかっている。
人間を人形にする魔法が。
なにかを平均値にする魔法が。
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