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短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(78) 真っ白アーカイブセンター

この回と繋がっています。👇



「お浸しが、好きだよね」

廊下を歩きながら、いーだ課長が言った。

「ほうれん草、小松菜。アスパラに、焼きネギなんかもいい」

いーだ課長は、遠くを見ながら、ひとりごとのように話す。

「よーく冷やしたのが、いいね」

濾過課プール室を出て、まっすぐ伸びる長い廊下を抜けたどんつきには階段があって、
その踊り場には
サビかけたバケツとか、
バケツには、網が破れたタモとか、網部分が取れて柄だけになったタモとか、
あるいは乾ききってカッチカチになったうす灰色の雑巾なんかが置かれてるんだけど、

そういうものには目もくれず、いーだ課長は、
階段を上る。

明かりとりの窓の隅に、蜘蛛の巣が張っている。

そこはいちおう、
非常階段と名づけられてはいるんだけど、
タモがあるだけで俺には日常。
「利害関係調査委員会」ガリラヤ倉庫には、
まだ一度も非常というものが起こったことがないんだってことがわかる。

蜘蛛の巣まで古い。
白い糸はやわやわにほぐれて、綿ぼこりにかわりつつある。
古いレースの襟につけた小さなブローチみたく、巣には蜘蛛の死骸が引っかかってる。

「菜の花のなんかは、しばらく食べてないなあ」

プール室は天井が高いから、
階数でいえばプール室の上の、2階部分にあたるとこは
床がぶち抜かれていて、
ガリラヤ倉庫が魚の冷凍庫だったころにつかわれていた、
非常階段から2階部分に入る鉄扉は、ノブを外されて、
扉の外周は、壁とのすき間の目地にセメントみたいなものが塗りこまれている。

「エモ山君は」
いーだ課長が、階段を上りながら俺にチラリと振り向いた。
「お浸しが、好きかい?」

「そっすね」
俺はこたえる。
「あんまり食わんすね」
コンビニに、お浸しって売ってないような気がした。
コンビニにないものを、俺はほぼ食わない。
俺の献立は、コンビニの商品開発部が決めている。

「そっか」
いーだ課長の、アイロンのかかったカーキ色の作業着が少し揺れたのは、
たぶん課長が笑ったから。

ふだんはプールからタモで砂をさらっている都合上、
俺は業務中、たいてい足元を見てるし、
ゴミ収集所はプールの真地下。
宇宙について考えることはあれど、それは遠いお空のハナシだからなわけで、
プール室の上の階になにがあるかなんて別に興味ないっつうか、
なにがあっても別に、あってもなくても別にいいっつうか、
それはそれ。
ようするにその時まで俺は、考えたこともなかった。

「がちゃり」

と言って、いーだ課長が、
3階部分の鉄扉を開けると、

そこにはプール室の階と全く同じ、直線の廊下がうす暗く伸びていて、
直線のずっと先に、反対側の明かりとりの窓が小さく見えるのも同じで、
廊下に沿った壁の真ん中あたりに別の扉があるらしく、
そこから細く明かりが漏れてるところも同じだった。
「がらり」
と言って、廊下の横開き扉を、いーだ課長が開けた。

その部屋はプール室と同じ広さの、
体育館くらいデカいだだっ広い空間で、
天井を一面おおう白いアクリル板ごしにその場を光除菌するみたく煌々と、明かりがともり、
そのせいで白い床や壁は、光を反射して、部屋の角の、床と壁の境界線すら見えないくらいだった。

部屋の一番奥、
扉からもっとも遠い場所には、
灰色の事務机が一つ置かれていて、
そしてその机は、その部屋にある唯一の物。

「おーい」

戸口から、いーだ課長がどこかに呼びかけると、
声はがらんどうの部屋に響いた。

「いるかい?」

誰もいない、だだっ広い部屋に、いーだ課長が呼びかける。

応えはない、
あるわけないかと思いきや、

「いるよ」

男の声がした。

「僕だよ」
いーだ課長が言う。
誰もいない場所に向かって。
「出てきなよ」

俺がきょろきょろしていると、
白い壁の一か所に、にゅっと顔が出てきた。

「なんだ、君か」

顔は言い、白い場所から顔に続く片半身が出てくる。

それはちょうど、首から下を、縦に真っ二つに切った感じだった。

「ひさしぶりだね」

半身だけの男が課長に言った。

それから男は、全身をあらわした。
体を隠していた、細長い白い板を、白い壁に立てかけたのだ。

立てかけられた白い板は、壁に溶け込むように、すぐに見えなくなった。

「入っても、いいかい?」
いーだ課長が尋ねると、男は、
長い白衣を着て、壁にぴたりと背をつけて立ち、

「そうだな」
こたえるが、壁際から動こうとはしない。

灰色の机は、男の場所からも、俺たちのいる戸口からも、遠く離れていた。
真っ白い部屋にひとつだけ置かれた灰色の机は、床から浮かび上がって見えた。

「渡したいものが、あるんだよ」
いーだ課長が、作業着のポケットから、折りたたんだ紙を出す。

紙を開いてぴらぴらさせながら、
餌で釣るみたいに、いーだ課長が、
「取りに来て~」
と言うと、
「その前に」
男が言った。
「君の隣にいるのは、誰なんだい?」
男は眉をしかめ、目を細めて俺を見る。

「こちらはエモ山君」
いーだ課長はこたえた。
「僕の部下だよ」

「中身はなんだい?」
男は尋ね、
俺はその質問に、ドキッとしたんだけど、
それは俺について問うているわけではなく、
男の目は、遠くからもわかるほど、紙切れを見つめていた。
俺は、ややほっとして、
しかし若干、紙きれみたくぴらぴらした。

「年表さ」
いーだ課長が男にこたえる。
「とある人物が遺した、じつに理にかなった年表さ」

俺はチラリとのぞき見る。
いーだ課長が手にしているのは、
俺もいつか見せてもらったことのあるそれだった。

30年間コピペを続けて無縁仏になった男が遺したもの。
俺が自分の墓を見ることがないように、今後未来永劫目にすることはないだろうと思った年表。

それを、いーだ課長は、ここに持ってきていた。

「ここに」
壁に背をつけたまま、男はこっちを顎でしゃくる。
「それを置きたいのかい?」

「そのほうが、いいと思ってね」
いーだ課長の口元に、うっすらとアルカイックスマイルが浮かぶ。
「ここじゃなきゃ、だめだろうと、思ってね」

俺は、自分の心臓が、とくりと音を立てたのを感じた。

しかし男は腕組みしてこたえた。
「ここはもう、いっぱいなんだ」
腕組みしたまま、あたりを見渡す。
「なんでもかんでもってわけには、いかない」
俺が見たところ、真っ白い部屋は、真っ白い部屋だった。
何にもない、白い部屋。
浮かび上がって見える灰色机を、視界で床に下ろしてみると、
部屋は平行四辺形に直角を狭めていくようにも見えた。

アルカイックスマイルのまま、いーだ課長は目を伏せた。
「まあちょっと、見てみたらどうだい」
紙をぴらぴらさせながら、遠くを見る。
「僕が一度でも、ここにおかしなものを持ち込んだことが、あったかい?」

「あったさ」

「なんだろうか」

「むかし」

「いつのことかな」

いーだ課長が首をかしげ、ふと思い出したように顔をあげる。

「あれか」

「あれだ」
男が頷く。
「まあ、あのときは」
そして男はひゅっと肩をすくめた。
「しかたのないことだったが」

「そうさ」

「可能性だからな」

「可能性さ」

「お互い、若かった」

男のことばにいーだ課長が静かにくつくつと笑いだし、
つられて男も、くつくつ笑いだした。

くつくつ。
くつくつ。

ひとしきり笑って、
静かな笑い声が、白い壁に吸われて消えきったころ、

「しかたがないな」
笑顔のまま男は、腕組みを解いた。
「それを、見てみようか」

男がこちらにやって来るようなそぶりを見せ、
いーだ課長は、俺をチラリと見る。
俺は頭の中で、
あの男にする挨拶とか、そんな感じの社会人ぽいことを思い浮かべたりなんかし、
ちょっと居住まいを正したりなんかしているところだった。

てく、てく、てく。
男の足音が、白い部屋に響いた。
大股で歩くので、白衣の裾が、ひるがえる。

てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく。

皺の深く刻まれた、眉の濃い男だった。
遠くから見ても、目つきは鋭くて、視線が合ったら焼かれそう。
俺は目を伏せて待った。
ちょうどいいとこまで来たら、顔をあげようと思った。

てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく。

俺は顔をあげた。

てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく。

男は歩いていた。
こっちに向かい、大股で歩を進めていた。
だけどその姿は、
白衣を着たその体は、なかなか大きくならなくて、近づいてこない。
まっすぐ歩いているのに、ずっと遠いまま。
まるで、真っ白い部屋が、ほんとうに平行四辺形に伸びていくようだった。

てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく、てく。

足音だけが勇ましい。

「ああ」
男を眺めながら、いーだ課長が、ポンと手を打つ。
「きのこ類も、いいよね」
「へ?」
「ほうれん草と、しめじを合わせたり」
「しめじ?」
「エモ山君、たまにはお浸し、食べるといいよ」

俺がいーだ課長を見つめていると、
「ああ」
いーだ課長は、つと男のほうに顔を向けた。
「こういう男さ」
男を遠くに見ながら、いーだ課長は鼻先を上げる。
「彼はここ、アーカイブセンターの所長」

「ミルキーウェイといいます」
すかさず男が言った。
遠くからてくてく歩きながら、握手でも求めるように、俺に腕を伸ばした。

(続きます)



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