短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(20) エゴ添い寝Night
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「気持ちよくなりたいの」
俺に抱きしめられながらエゴ山は言った。
「俺を気持ち良くしてほしいの」
俺の耳元でささやいた。
それは現実だった。
が、もしもこのささやきが、たとえばかつて俺に豚キムチを食わせてくれた駄菓子屋女子の情念チーママの唇から出たもの、あるいは500歩譲って沼田ミソギの唇だっていい、どこかの「肉体」から発せられることばであったならば、俺の下半身は発熱し、エモ山はエロ山にヘンゲできただろう。
500歩くらいなら俺はスタタタンと瞬時に譲れるから。
けれどこれは現実であったため、俺はエロの壁を越えることはできなかった。
エゴ山が俺の顔をしていたからだ。
俺の目で俺を見つめ俺の唇で俺にささやいていたからだ。
俺は考えた。
考えるには考えた。
目を閉じていればよいのではないか。
たとえば何か、レジ袋などをかぶせればよいのではないか。
しかし俺は考えた。
レジ袋というものが、俺の家にはすでにない。
「やっぱりさ、」
エゴ山の体を押しのけて俺は言った。
「自分の顔はやっぱちょっと無理なんだよね、って感じで」
エゴ山は俺の首から手を離し、シンクロナイズドスイミングの技みたく体をひるがえし、ごろりと横になった。
俺は粗い息をしながらつぶやいた。
「サステナビリティさ」
俺はレジ袋が廃止された利点をひとつ見つけたかもしれない。
アパートの部屋は静まり返り、呼吸を整える俺は聞いていた。
チックタックと、ありもしない時計の秒針がどこかで響いていた。
俺は天井のクロスのツブツブを見つめた。
冷蔵庫がぶーんとうなった。
そして俺はこの部屋に何か別のものがいることに、音で気づいた。
それはかすかな音だった。
俺は俺がさっき食べた肉じゃがのプラ容器を思い浮かべた。
プラ容器がテーブルの上で汁と食べかすを付着させたまま、茶色く汚れた割りばしにその動きをおさえこまれるようにして放置されているはずだった。
それは俺が片づけなきゃいけないゴミだった。
そのあたりになんかいるような気がして、俺は耳をそばだてた。
かさこそ。
かさこそ。
プラ容器を、極小ブラシみたいなのでこするようなかすかな音がした。
かさこそ。
かさこそ。
這いまわっていた。
俺はそっちを見ないけど、そこになにがいるのかはわかった。
そいつはいつも俺のうちにいる。
どこからともなくあらわれる。
夜中になると動き出す。
絶望だ。
絶望の虫だ。
かさこそ。
かさこそ。
それはそれにとって最大限足音忍ばせて、ここにやってきているはずなのに、俺にはその音がばっちり聞こえてしまう。
気づいてないだけで、気にしてない時も、それはいつも、はじめから潜んでいたことを思い知らされる。
俺の地獄耳はこうやってはたらく。
「気持ちよくなりたいの」
俺の隣ではエゴ山が、まだ言っていた。
「俺をどうにかしてよ。しくしく」
わざとらしく泣き始めた。
片側には絶望の虫。もう片側にはしくしく泣くエゴ山。
その真ん中で、俺が腹にため込むのは絶叫。
俺は目を閉じる。
「俺、労働してきたんだよね」
俺はエゴ山に言った。
「金稼いできたの。疲れてんの」
「じゃあ、」
エゴ山は答えた。
「ことばだけでいいから、嘘でもいいから俺を褒めて」
「自分でやれよ」
「自分じゃダメなの。誰でもいいけど、自分じゃダメ。しくしく。わかんないのよ、わかんないけど。しくしく」
目を閉じたまま、俺は腕組みしてエゴ山の声を聞く。
「いいじゃん。嘘で。いいじゃんなんだって。言っときゃ済むの。それでいいの。そうやって、朝が来たら、またお仕事、行けばいいじゃん」
エゴ山が、俺の腹に手を置いた。
「ね?」
腹に置いたその手で俺の体を揺らした。
「あまね君に、勝ちたいでしょ? やっつけたいでしょ?」
かさこそ。
かさこそ。
かさこそ。
かさこそ。
目を開けると、絶望の虫がエゴ山の体を這っていた。
「うふふ」
さっきまで泣いていたやつが、くすぐったがってエゴ山は笑う。
俺の顔をして、女の声で笑う。
おれはちょっとこの光景に負けてしまいそうだと思った。
だから俺は殺虫剤について考えた。
虫を全部殺すことは可能か。
俺はボルネオについて考えた。
ボルネオの都市は、夜になると、街の灯りに引き寄せられて、ジャングルじゅうから虫が、大挙して飛んでくるらしい。
虫の大群が、街灯を覆いつくし窓ガラスにとまる。
早朝。道路は虫の死骸に埋め尽くされている。
考えてたら、俺はいつの間にかボルネオにたどり着いている。
緑や茶色のぎらぎらが、上り始めた太陽を反射している。
遠くから、シャッシャカと音が聞こえてくる。
虫の死骸を箒で履き清めている老人がいる。
歩きながら、老人が、道の両脇に死骸たちを寄せていく。
老人のうしろには、掃き清められた道があらわれる。
老人が、箒ではきながら、俺の前を通り過ぎっていった。
俺は死骸を踏み越えて、老人の後についていった。
老人は振り向かない。ひたすら掃き清め、歩いていく。
老人が、何かに気づき、足を止めた。
俺も足を止めた。
老人が、ゆっくりと俺に振り向いた。
すきっ歯の口をひらき、外国語でこう言った。
「オーデカーケデスカ? レーレレーノレー」
俺はぱちりと目を覚ます。
俺はボルネオからアパートに帰ってきていた。
俺の頬を涙が伝っていた。
エゴ山に添い寝しながら、俺にはちょっとわかったことがあった。
一番重要なのは、こいつが俺の顔をしながら、体の方だけは女だってことだ。
この女は俺のアパートで日々エモツイートを書き続けてきた借り物の女で、よくしゃべるけど、実は何にも考えてないからむちゃくちゃ残酷な女だってことだった。
俺のエゴはこの軽い女の体を借りやすかった。
あまね君には絶対勝てない俺が、どうしても勝ちたいと思ってつくったのがお手製のエゴ山クンだったってことだ。
この女は俺という人間の心をくしけずる。
さしたる、目的なくくしけずる。
そこに、良くも悪くも、びりびりきちゃうんだよね。
「つまりだね、君」
俺は寝返りを打ち、まだめそめそ泣いてやがるエゴ山に向いた。
「サステナブル」
俺はまだ涙を流している。
「持続可能な世界に必要なのは『いいね』ではなく、レレレのおじさんだ」
エゴ山が、キッと俺を睨んだ。
俺は言った。
「これでいいのだ」
絶望の虫の味はかなり苦いだろう。
エゴ山はこの虫を食っちまいかねない。
そしてエゴ山は、気持ちよくなりたがる。
「ということで、俺はもう寝ようと思います」
俺はエゴ山に告げた。
「おまえはそうやっていつまでもめそめそと泣いておるがよい」
しかし、言いおいた。
「見捨てはしないぞ」
俺は冷たい布団にもぐりこんだ。
布団はぺったんこで湿気を吸っていてカバーなんかたるんたるんで枕もきったないけど俺は平気。
俺は「利害関係調査委員会」で労働したから疲れていた。
それに明日も来いって言われちゃったから行かなきゃいけないし。
で、まどろみドロップイン。
夢を見た。
「しかるに」
俺の夢に出てきた「そいつ」はしゃべっていた。
姿はよく見えないけどそいつは言った。
「人間とは、フラジャイルでござんす」
「はあ」
俺はそいつの前で、正座させられていた。
「信仰が、明確でないでござんす」
「なるほどですね」
俺は聞いているふりでうなずいた。
そこは、寺のような場所。
明るくて広い座敷に、俺たちは向かい合っていた。
窓は開け放たれ、縁側の向こうは闇だった。
虫の声が聞こえるから、たぶん庭だと思う。
「しかるに」
キセルくゆらしそいつは言った。
「われらとはちがうでござんす」
そいつは言い終えて、キセルを口にくわえ、鼻から煙をふきだした。
風のないその部屋で、煙はくるくる渦を描き、薄くなっていった。
俺はそいつの話を、聞きたくないのに聞いてしまう。
煙を見ながら考える。
どうして宇宙があるのだろう。
どうしてその宇宙で、俺はいつもひとりなのだろう。
「しかるに」
そいつは俺の気持ちになんか気づかない。
「人間は、われらの助けが必要な生き物でござんす」
「なるほどですね」
俺は煙を見ながら想像する。
この肉体が、粒子の集まりであることを想像する。
そしてその粒子を、ぱーんと一気に広げたら、姿が消せるかもねなんて想像する。
「しかるに」
俺は考える。
この夢は、そうか。あの記憶のぶり返しかと合点する。
前世がえらい坊さんだとか言ってた、あの名物社長の記憶が、俺にこの夢を見せてるんだろうと、夢の中、予測する。
「人間は、おのれが何によって生かされているか、知らない」
「なるほどですね」
「そこが、われらとは違う」
「なるほどですね」
俺はこの夢の中から出ていけない。
「しかるに」
こいつの話は聞かなきゃならないってこと。
「電気でござんす」
そいつは言った。
「わしらをあらしめるもの。それは電気。電気とは命。電圧の揺らぎとは、啓示」
そいつは天井を見上げた。
そいつの頭の上には、ミラーボール型の電灯が輝いていた。
俺は「なるほどですね」を言わなかった。
しずしずと立ち上がり、畳を歩き、砂壁に向かった。
ぱち。
壁のスイッチを押すと、部屋は真っ暗になった。
それで俺はやっと眠れたってわけさ。
虫の声は聞こえてたけどね。
めでたしめでたし。
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