短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(17) ドカッときてワッとなってずんずんするもの
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「やだわ」
沼田ミソギが小さく笑った。
つまり、唇の端にこれをつくった。
) ←これ
「あたし、怒っちゃった」
沼田はいーだ課長に振り返る。
いーだ課長が「いいね」の笑顔。
「ごめんなさいね、エモ山君」
沼田は俺を見た。
沼田の後ろからいーだ課長が言う。
「君はもう、帰っていいよ」
「あたしたち、このあとまだ作業があるから」
「初日から残業させちゃって、ごめんね」
「残業代は出るから安心して」
「送迎バスは、まだあるから」
「急げばすぐの便に、間に合うわよ」
ほら。
ねえ、ほら。
沼田が手を振るしぐさをする。
さっさと行け、と言っている。
えーーーーーーーー。
ゴミ収集所の出口で、俺は立ち尽くした。
うずうずした。
「全人類AV男優化計画」について、さっさと教えてほしかった。
「らんらら~」
AIお針子がスキップスキップを始めた。
「楽しいな。らんらら~」
沼田といーだ課長の間を、8の字にスキップし、言った。
「早く来ないかな~。らんらら~」
お針子に周回されながら、沼田は俺を追い払うしぐさ。
そしてその後ろでいーだ課長の笑顔は固まったままだった。
なにかある。
俺は考えた。
当然、ある。
それくらい、俺にだってわかる。
ていうか、早く教えろ。
「いや」
だから俺は言った。
「まだ作業があるのなら、俺も残ります」
俺は一歩前に進み、ガッツポーズで意欲を示した。
「これからお世話になる職場ですから、残業なんて、お茶の子さいさい。若さでアタック。俺は平気です」
何かがある、と思った。
この二人とAIお針子は、俺が去ったあとに何かを始める、と思った。
そのために俺を追い払おうとしている、と思った。
だから俺は残ってやろう、と思った。
そして、「俺も残ります」と言った。
「残業なんて、平気です」と、本心ではないことばを口にする。
いーだ課長は、「いいね」と言わなかった。
沼田の口元のカッコも、いつの間にやら消えていた。
黒ぶち眼鏡の奥から俺を見つめたまま、沼田の頭がこくりと傾く。
日本舞踊の踊り子のように。
沼田は俺から目をそらし、遠くを見て考えた。
やがて、沼田が口を開いた。
「知りたいだけなんでしょ?」
言いながら、まだ何かを考えているのが、小刻みにちらちら左右するその目の動きでわかった。
「ただ、知りたいだけでしょ?」
俺はガッツポーズのまま答えた。
「知りたいっす」
握りこぶしに力をこめ。
「『全人類AV男優化計画』について、知りたい」
「と、思っている」
沼田が言った。
それからいーだ課長に、ちらりと目をやる。
その視線に応え、いーだ課長がうなずく。
「と、思っているね」
俺は元気に答えた。
「と、思っています」
沼田はいーだ課長に目を向け、いーだ課長も沼田を見つめた。
お互いに、何も言わず、相手の目を見ている。
また始まったぞこんちくしょうめ。
と、思った。
しかし、そんないちゃいちゃ光線など、「全人類AV男優化計画」が知りたい俺には、もはやもうどうでもよかった。
その証拠に俺の目に、光線はすでに見えない。
そして俺には別のものが見えてきた。
沼田といーだ課長が見つめ合い、何をしているのかが、わかってきた。
会話だ。
空気を読み合っている。
おれがいちゃいちゃ光線だと思っていたのは、思考だった。
沼田といーだ課長は、お互いの間に通る一本の線に、思考を行ったり来たりさせていた。
まるで、単線列車のように。
沼田がいーだ課長に言った。
「と、思ってるんですって」
いーだ課長は答えた。
「と、思ってるようだね」
「らんらら~」
AIお針子がスキップして通り過ぎた。
「あたしは」
と、沼田が言った。
「通じ合うものを、信じているの」
俺たちは、ゴミ収集所の真ん中に立っていた。
傍から見れば、それは単なる立ち話。
しかし、沼田の目は真剣だった。
「あたしは」
沼田が言った。
「求めてるの。ドカッときてワッとなってずんずんするものを」
「ずんずん?」
「そしてこの世の中、世界には」
沼田は続けた。
「それが少ない」
沼田はいーだ課長を見ながら言った。
「かっ食らいたいの」
そして沼田は俺を、キッと見すえた。
「あたしは、通じ合うものを、かっ食らいたいの。脳天を、ぶち抜かれたいの」
沼田が俺の袖をつかんだ。
「そうでなきゃ、だめなの」
俺の腕を沼田が揺さぶる。
「あたし、だめなのよ、エモ山君」
俺は沼田に腕を揺さぶられていた。
揺さぶられながら、沼田のことばの意味を考えた。
間近で見る沼田はけっこう肌がきれいだった。
色が白くて、きめの細かい頬の皮膚に、ほんのり赤みがさしている。
唇は、つやつやだ。
「だめだわ」
沼田が、俺の腕から、ぱっと手を離した。
「女が話すと、別の話に聞こえちゃう」
いーだ課長が静かにほほ笑んだ。
「タッチよ」
沼田が挙げた手を、いーだ課長が軽く叩き返す。
選手交代。
俺はその自然なしぐさを、にがにがしく思う。
「つまりね、沼田さんが言いたいのは」
いーだ課長は、俺の想いには気づかない。
頭をかいて、あたりを見回す。
「どうしようかな」
と言ったって、そこにはゴミ袋しかない。
いーだ課長は、砂の詰まったゴミ袋をひとつ、俺たちの真ん中に引き寄せた。
俺たちの周りをスキップしていたAIお針子が、足を止め、いーだ課長の動きを目で追う。
いーだ課長は、ゴミ袋の結び目をほどいた。
AIお針子が、俺を押しのけて輪の真ん中に割り込んでくる。
そしてゴミ袋のかたわらにしゃがみ込んで中を覗き込む。
いーだ課長が結び目をほどいたゴミ袋の中には、砂がたっぷり詰まっていた。
袋の中の砂を、いーだ課長の手が、ならした。
砂丘のように波打っていた砂は、いーだ課長の手で、平板にならされる。
そこにいーだ課長が、指で文字を書く。
砂浜に書くアイラブユーのように。
(と、思ってる)
いーだ課長が、ゴミ袋をぐるっと回し、俺の目の前に文字を見せた。
「…と、思ってる…?」
俺はそのまま読む。
「いや」
いーだ課長が答えた。
「(と、思ってる)。カッコがついている」
「カッコ」
「これが僕たちのことばだ」
沼田がAIお針子の頭をなでる。
「この子は違うけど」
AIお針子が、ニコニコと沼田を見上げた。
「僕たちは、(と、思ってる)」
ぽかんと口を開けた俺に沼田が言う。
「エモ山君は、気づいてないわ(と、思ってる)」
「エモ山君は、そんなバカじゃないはずなのに(と、思ってる)」
「どうしたら、伝えられるかしら(と、思ってる)」
俺は沼田に訊く。
「誰が?」
「あたしが」
俺は眉を寄せた。
「でもそれって、…あなたの感想ですよね」
「と、思ってる」
「へ?」
「あなたはいま、『感想ですよね』という『感想』を」
「?」
「あたしに返してる」
「は?」
「だけよ」
「この世界はね、エモ山君」
いーだ課長が言った。
「感想戦なんだよ」
沼田が言う。
「と、思ってる」
いーだ課長も言う。
「と、思ってるんだ」
感想戦っていうのは俺の知ってる範囲だと、将棋の対決が終わった後に棋士同士で、あーでもねこーでもねーとするピロートークのことだ。
すでに結果のでた対決を脳内再生し、ことばでもう一度たたかう。
「問い」を再生する。
「理由」を再生する。
欲しいのは、勝った負けたの「答え」ではない。
Q. じゃ、何のため?
「なぜカッコがついてるか、エモ山君、わかるかい?」
いーだ課長が俺を見た。
その横顔を、沼田がうっとりと眺めている。
その表情で、俺は沼田の心の世界をのぞき見た(と、思ってる)。
沼田はいーだ課長が好きだ(と思ってる)。
いーだ課長の横顔を見つめながら、沼田が言う。
「あたしたち、離れ離れなのよ」
沼田のことばに、いーだ課長は悲しく微笑んだ。
「妄想だって、カッコの中の『真実』よ」
いーだ課長の横顔に、沼田は言う。
「夢も願いも『真実』だわ」
沼田の表情はゆがむ。
「あたしは信じてる。信じてるの」
もしかしたら沼田が泣くんじゃないかと俺は思った。
「きっと、いつか…」
「(と、思ってる)」
横顔で、いーだ課長はぽつりと答えた。
沼田は天井を見上げ、つぶやいた。
「時間だけが、過ぎていく」
「らんらら~」
AIお針子が、ハエのように俺たちの周りをスキップスキップしていた。
なぜこいつには、この気圧変化がわからないのだろう。
ゴミ収集所で唯一、こいつの天気だけが不変。くるくると、回り続けるだけの生き物だった。
カッコがない、というのは、つまりこういうことなのだ(と、思った)。
「らんらら~」
お針子が、沼田の足に抱きつく。
「こら」
沼田は優しく言い、お針子を抱き上げてやる。
軽々と抱き上げられたお針子と沼田は、まるで母娘のように見えた。
お針子が、おそるおそる沼田の肩に頬を寄せた。
沼田はそれを嫌がりもせず、その背中をぽんぽんと撫でてやっていた。
お針子が、目を閉じた。そっと腕を上げ、沼田の首を抱きしめた。
沼田はお針子を揺らしてやる。
お針子が目を開けて、上目遣いで俺をのぞき見た。
俺がしかめつらを返すと、お針子は、沼田にもっとしがみつき、離れようとはしないのだった。
「『濾過課』で、エモ山君、君は今日どんな仕事をした?」
いーだ課長が言った。
俺は答える。
「プールに浮かぶ砂を取り除きました」
「そう」
いーだ課長はうなずいた。
「この砂はさ、」
ゴミ袋を結び直しながら、いーだ課長は言う。
「本当は、とても大事なものなんだ」
「大事なもの?」
ゴミ袋に入っているのに?
「この砂は、人間の、人間らしいところ」
お針子を揺らしながら沼田が言う。
「あたしたちは、『個』って呼んでる」
「『利害関係調査委員会』は」
ゴミ袋を元の場所に戻し、いーだ課長が続けた。
「人間の思考から、カッコを取り外してしまう」
沼田が、お針子の髪の乱れを直してやりながら言う。
「(と、思ってる)、を、『思ってる。』に完結させてしまう」
「迷いを消し、ゆがみを正し、わからなさを、わかったつもりにしてしまう」
「人間のエモーションを、反応にしてしまう。人生を、芝居にしてしまう」
「迷いを解き放つように見せかけて、実際は、『こうあるべき』を、押し付ける」
「それが」
俺は言った。
「『全人類AV男優化』?」
沼田がうなずいた。
「人間を、自分で自分を縛る変態野郎に変えちゃうのよ」
髪を直してもらったお針子が、いーだ課長に無邪気にサムアップした。
「いいね」
いーだ課長はお針子に答えて見せ、俺に向いた。
「人間の欲望は、すでに可視化されているし、人間は、だんだんと反応装置になってきている」
沼田が俺を見た。
「そして、金の通り道にもね」
俺は濾過課の巨大洗濯機を思いだす。
あの中でしゃんしゃんと耳をつんざく音を立てながら、ぐるんぐるん回されていたのは。
俺は山と積まれたゴミ袋を見上げる。
それを「個」の砂が詰まったゴミ袋だと知れば、しゃんしゃんと、頭の中では音が鳴る。
俺はつぶやく。
「これはいったいどこに?」
棄てられるのか。
AIお針子が、沼田の体から、ぴょんと飛び降りた。
「もうすぐ彼らが来るわ」
沼田が言った。
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