短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(41) 誤解の天才
これまでのエモ山
ま、
俺なんかはニセモノだし、インドア派だから、
日焼けとかはほぼ関係がない。
俺が日焼けに関係ないんじゃなく、
日焼けが俺に関係ない。
だから休み明け、『利害関係調査委員会』のプールに、
いーだ課長がこんがり日焼けした顔であらわれたときも、
俺は別にそれになにかを意味づけたいとは思わなかった。
あ、休暇中にいーだ課長、日焼けするようなことをしたんだな、
って思っただけ。
いーだ課長は、トーストのように焼けていた。
あの焼け方もしかして、日サロかな、って考えてみたりもした。
俺の知ってるいーだ課長、
「目立たない」を絵に描こうと思ったら目立たないから絵に描いてみても「目立たない」みたいないーだ課長がもし、
ふとんの中、眠っていたかと思いきや、夜中にぱちりと目を開けて、
「日サロだ」
ということで一念発起、翌朝日焼けサロンに赴いたということであれば、
いいではないか。
いいではないか。
日焼けという結果ではなく、「日サロだ」と決心したその気持ち。
俺はそこを尊重します、いーだ課長。
「山登りをしたんだ」
タモで砂をさらいながら、いーだ課長が言った。
「秩父のほうに、行ってきました」
「日サロでも行ったのかと思ったぜ」
ニックが横で言い、
俺は、
ニックと同じ誤解をしてしまったことに陶然、
これは黙っていることにした。
「連れて行ってくれ、と、頼まれてね」
いーだ課長が言った。
「山に?」
と、ニックが言い、
それにうなずいたいーだ課長が、タモの手を止め遠くを見た。
「もしかして、おんな?」
ニックが言った。
それはニックが日々よく使うセリフだった。
どんな場面においても、
どんな話題であっても、
ニックが必ずおこなう質問だった。
「え、もしかして、おんな?」
いーだ課長の横顔が笑った。
日焼けした顔にできた笑い皺が、やけに黒ぐろと、くっきり見えた。
「どんなおんな? どこで出会ったの?」
ニックが尋ねると、いーだ課長は答えた。
「店だよ」
「飲み屋?」
「そう」
いーだ課長が、タモをプールに浸した。
「いいおんな?」
「まあまあだね」
「なんでまた、山なんかに」
「話の流れだよ」
「変わった女だな」
「変わった女だった」
いーだ課長がうなずいた。
「自分はしあわせなおんなではない、と言っていた」
いーだ課長が続けた。
「この山に登れば、自分もなれるか、と」
俺はタモを使いながら、いーだ課長の話に耳を傾ける。
「僕の世界が見たい、と言っていた。僕のようになりたい、と言っていた」
俺は手を止めて、いーだ課長を見た。
課長の遠回しな言い方から俺が思い出すことがひとつ。
無きにしも、非ず。
シビト。
って、タモから床に落ちた水が、そんな音をさせた。
いーだ課長のことばを、ニックは肯定したくない。
「おまえのように?」
俺が知っていることを、ニックは知らないからくやし気に笑う。
「惚れちゃった、ってやつ?」
あの話、俺は完全に信じてるわけじゃない。
「何度も聞いてきた」
いーだ課長が言った。
「おそろしいことはないか、と」
「初心者?」
ニックが言った。
「そうだね」
課長がこたえた。
「僕たちはのぼりはじめた。朝だから、おりてくる人間は、いなかった。鳥の声もしなかった。空は青、雲はなく、空気が耳を痛いくらいに冷やした。木々の葉は茶色くなり落ちきって、骨みたいな葉脈だけ残して形をうしなって、霜柱といっしょくたになっていた」
「熊とかいそうだな」
「食べるものがない場所に、熊なんか、出ないよ」
いーだ課長が軽く笑った。
「それに、彼女がしじゅうしゃべっていたし」
「声がすれば出てこないな」
「死んだ家族のこと、先の見えない仕事のこと、社会の矛盾。彼女を不幸たらしめるすべてのことについて、僕に意見を求めた」
俺たちは、しばし黙ってタモで砂をさらった。
しぱぴん。
しぱぴんと、プール室に音が響く。
毎日やってても、砂は全然減らない。コピペ部はどんどん忙しくなる。
俺はどぶんとタモを差し、
砂をさらってはじき出す。しぱぴん。
やってるうち腕が疲れてくる。
タモは水を吸い重くなる。
俺の腕は重さに反応する。
俺は思いかえす。
創作とは人間が自分をシビトにする行為だ、と、いーだ課長が言ったのを。
俺たちはいつか必ずシビトになる。
それは悲しいことなのか。
悪いことなのか。
一日。
また一日。
コピペ部はどんどん忙しくなる。
道徳の教科書が増えていく。
俺たちはタモを振る。しぱぴん。
どーとく。
しぱぴん。
どーとく。
しぱぴん。
しぱぴん。
「熊は出なかったけど」
いーだ課長がぽつりと言った。
「途中までのぼり、僕たちは、道に迷った」
「まじで?」
「山道が、途中で途切れてしまった。僕たちの前は倒木にふさがれ、その先は草ぼうぼうの茂み。崖の下から聞こえてきた低い響きは、勢いよく水の流れる音だった」
「戻らなきゃ」
ニックが小さい声で言った。
いーだ課長は、タモを杖にするみたいにして立てると、
その上に手を置いた。
「僕たちは、話し合った。彼女は僕に、執拗に訊ねた。ここはどういう場所なのか、ここにどんな意味があるのか。そして、僕が地図を持っていないことを知って、苛立ちはじめた」
「戻った方がいい」
ニックがまた言った。
「やがて彼女は、風が寒いと言い始めた」
いーだ課長はうなずいた。
「彼女は怒っていた。まるで僕のせいで、自分のふしあわせがまたひとつもたらされたとでも言いたげだった」
「そういうおんな、俺やだな」
ニックが言った。
「自分から、行きたいって言ったくせに」
いーだ課長がうなずいた。
「だから」
いーだ課長のタモの先が、プールにぽちゃりと沈んだ。
「置いてきちゃった」
「へ?」
と、変な声を出したのは、俺。
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