短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(44) AI腹話術人形と高速思考芸術家
これまでのエモ山
「ですよね」
と、俺が言うと、
「そうよ」
と、チーママがこたえた。
「あたしは『チー』」
「チー」
「チーのママ」
「はい」
「では問題です」
「はい?」
「チーの上には?」
チーママが俺を見上げた。
宇宙の目に吸い込まれそうになりながら、俺は考えた。
チーの上にはなにがあるのか。
チーの上には。
チーの上には。
宇宙の目。
なぜ宇宙は存在するのか。
「オーですか?」
俺はこたえた。
「ちがいます」
チーママはこたえた。
そしてチーママは笑った。
俺が唇を、Oのかたちにとがらせたままだったからだ。
なぜこの笑顔は存在するのか。
はっはっはっはっはっはっはと、
その日も「犬」は息をしていた。
はっははっはと息をしていた。
チーママは、そのはっははっはとする「犬」に宇宙の目を向けた。
「犬」はチーママの足もとで、はっははっはとやりながら、
後ろ肢で耳を搔く。
これでもか、これでもかと掻く。
チーママが手首にひとくくり、手綱を絡ませた。
毛むくじゃらは抵抗し、茶色い体をぶんぶん振った。
首輪と手綱のつなぎ目の金具が、かちゃかちゃ鳴った。
その音は、夕方のアーケードの天井にあたった。
音は俺の頭に落ちてきて、俺を少し震わせた。
アーケードの天井が、空と俺を隔てても、俺の目の前には宇宙がある。
俺はこの宇宙の一部になりたいと思った。
しかし宇宙とはつかみ取るようなものではなく、
俺ができるのは「犬」さんぽにつきあうことくらい。
チーの上になにがあったって、構わない。
俺はチーの横を歩くだけでせいいっぱい。
はっははっはと、「犬」が息をしていた。
俺は苦しくなってきて視線を逸らす。
「お店がね」
と、チーママが言った。
振り返り、チーママは、バー『情念』2階を見上げた。
『情念』2階は住居とおぼしきつくり。
小さなガラス窓の内側には、障子の格子がうっすら見えた。
「つぶれそう」
と、チーママが言った。
「え?」
俺は訊き返す。
「つぶれそう」
チーママが繰り返す。
「チーの上の人が」
「はい」
「帰ってこない」
バー『情念』2階のぴたりと閉じられた障子がうっすらとしか見えないのは、窓ガラスに埃が張っているからだった。
埃はアーケードの破れ目から射す夕方の光を吸いけば立って、
障子のそのさらに外側の壁と化し、無人の部屋を隠していた。
俺はチーママの横顔に目をうつし、
チーママの目がそれに視線を返してきたので、
俺はその宇宙の目の中にちょっとしたものがあることに気づいた。
それはちょっとしたものだったがなにか、
俺にも影響を与えそうななにかだと思った。
宇宙の影響に怯え、俺は店の扉に目を移す。
扉には、貼り紙がしてあった。
本日は、19時開店です。
貼り紙の手書き文字はおそらくはチーママの字。
クリスマスチキン 1本1000円
って、
クリスマスに書いてあったのを思い出し、俺はドキドキした。
その日と同じ筆跡だから、それがチーママの手によるものと
俺は予測する。
字を見て俺は、チーママの宇宙の目の中にあったものの見当が、
やっとつく。
チーママの字は、やさしかった。
手書き文字は怖いことがある。
いいおとなの姿をした人間が、小学生の寄せ書きにまぎれても見分けつかぬような文字を書くと怖い。
ま、どっちにしろ俺たちは最近文字を書かなくなって、
他人が書いた文字を見ることも減ってきた。
チーママの字は、やさしかった。
「チーの上の人は、どこに…」
と、俺が言いかけると、チーママの体がぐらっと傾いた。
アーケード街のタイルの地面に、「犬」が腹ばいになったのだ。
「どこに」
腹ばいになった「犬」は伸ばした前肢に顎を乗せ、はっははっはとやる。
「チーの上の人?」
と、俺と同じように「犬」を見下ろしてチーママが、こたえかけたとき、
「あれ?」
と、声がして、俺たちは同時に顔をあげた。
パーマ頭のスーツ男。
声の主は、高速思考芸術家ドエムだった。
「あれれれれ? お店は?」
ドエムがチーママにたずねた。
チーママはだまって店の扉を指さす。
扉に目を向けるドエム。ドエムが体を動かすと、ドエムが抱えているものが、俺に向いた。
ドエムが抱えているものの、黒い丸ボタンのふたつの目と、俺の目がかち合った。
ドエムは大きな人形を抱えていた。
スーツを着た、パーマ頭の人形だった。
「ボカーね」
と、ドエムが言った。
「今日はあたらしい高速思考芸術を、みなさんにご披露しようとですね」
腕からずり落ちそうになる人形を、ドエムは抱え直した。
「こちらに参ったわけですが」
ドエムは、チーママと俺をかわるがわる見た。
チーママは扉を指さして、「犬」は、はっははっはしていた。
人形は、ピンク色のスーツにピンク色のネクタイ。
布製で、目は黒色の、つやつやしたプラスチックボタン。
鼻と口は刺繍。
口から顎にかけてまつられている黒い線は、
たぶん腹話術人形の駆動する口の、あの不気味な境目を再現しているものと思われる。
「重そうですね」
チーママが、人形を見て言った。
「重かぁ、ないです」
ドエムは答えた。
「犬」は、はっははっはしていた。
ドエムがポケットから出した紙切れには書かれていた。
人工思考体ドール どえむ君
きったねー字だった。
怖い字だった。
「どえむ君は、」
と、ドエムが言った。
「自ら思考し、しゃべります」
「そうですか」
チーママが言った。
「どえむ君は、」
と、ドエムが言った。
「内蔵されておるです」
ドエムは俺にうなずきながら言った。
「人工の、知能が」
「そうなんですね」
俺は言った。
「限界を超えた、最先端技術による」
ドエムが言った。
「知能です」
夕方のアーケード街だけど、
そこは、シャッター商店街だから、店は少ない。
そこを歩くのは、学校帰りの学生とか、老人とか。
老人たちは、ここがまだシャッター商店街になる前からここを行き来してたんだろうと思う。
歩いているうちに歳をとってしまったんだろうけど、
老人たちは、それにまだ気がついてないか、
あるいはもう、そんなことは関係なくなっちゃったって顔で歩いていく。
ドエムの横を、ひしゃげたカートを押した老婆が
ゆっくりと通り過ぎていった。
「見てもらった方が、高速だね」
ドエムが言い、人形の腹を指さきで突いた。
「どえむ君、どえむ君」
人形の耳ではなく腹に言う。
「聞こえますか、どえむ君」
どえむ君は、答えなかった。
「おかしいな」
ドエムはどえむ君の腹を手で叩いた。
どえむ君の腹は、布製の人形にしてはやけにかたい音をさせた。
「どえむ君、応答せよ」
ドエムがどえむ君の腹を、ギュッと掴む。
「応答せよ、どえむ君」
腹を握られたどえむ君は、体をくの字にがくっとうなだれた。
「あたしたち、これからおさんぽが」
と、チーママが言った。
そしてチーママは、「犬」の手綱を引いたけど、腹ばいになった「犬」は起き上がろうとしなかった。
「どんなことをしてますか?」
突然声が聞こえたのは、どえむ君の、脇腹あたりから、布越しだった。
ドエムはぱっと表情を明るくし、
「ボカーね」
と、言った。
「どえむ君を、皆さんにご紹介しようとですね」
ドエムは、人形の腹に口を近づけて、声を大きくした。
「限界を越えた、最先端技術による、どえむ君をですね」
「はじめまして」
どえむ君が、快活にこたえた。
「こんにちは。どえむ君」
「いや、ちがうです」
ドエムがあわてて言った。
「ちがうです。キミがどえむ君なのです」
「わかりました。わたしがどえむ君です」
どえむ君は答えた。
「名前とは、興味深いものですね」
ひしゃげたカートを押した老婆が、またもうひとり、ドエムの横を通り過ぎていった。
俺にはその老婆が、さっきの老婆と同じに見えた。
「犬」は腹ばいになったまま、起き上がらない。
チーママが、俺に振り向いた。
「さっきのこたえなんだけど」
「え?」
「チーママの、上の人」
「ああ」
「昨日電話が来たの」
俺は、チーママの宇宙の目の中に、不安の種をみつける。
「どえむ君」
「はい。わたしはどえむ君です」
「どえむ君を、みなさんに、ご紹介しようとですね」
「それはすばらしいアイデアだと思います。ちなみに、」
どえむ君の声は続ける。
「どえむ君とは、今話しているこのどえむ君のことでよろしいでしょうか」
「チーの上の人」
チーママは、俺に言った。
「モーリシャスに」
「は?」
「モーリシャスにいるんだって」
傾きかけた日差しが、チーママの頬の産毛を際立たせた。
俺はチーママの横顔に尋ねる。
「モーリシャス?」
チーママは、遠くを見つめ、かすかにうなずいた。
「タコを捕りに」
「タコ」
「モーリシャスには、タコがたくさんいるんだって」
「タコ」
「チャンスをつかみ取る」
俺は大きく息を吸った。
鼻の奥がつんとした。
くしゃみが出そうになったのは、「犬」の毛のせいか。
腹ばいになった「犬」は、目を閉じていた。
目を閉じて、はっははっはしていた。
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