短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(81) 小麦からネズミ
前回のエモ山👇
「イジャネーカモーソンナコタート」
助手席からニックの声がして、俺は目を覚ます。
俺は運転席で、ハンドルを握っていた。
信号は青に変わっている。
アクセルペダルを踏むと、かすかな重みを吸い取って、ペダルは静かに沈みこむ。
もっと強く押せばさらに吸い取るだろう。
深すぎるところまで沈む前、その寸前で、俺はペダルから足を浮かす。
「もう、そんなこたぁ、と」
ダッシュボードに乗ったニックの、白の五本指ソックスの親指が、
動き出した景色を背景に、ぴくぴく。
顔のない指人形のようだった。
「いい加減にしろと俺は言った。おまえたちはこの世界でたったひとつの姉妹だろ、と」
ニックが言う。
「気にするんじゃねえ。おまえたちはもう、どっちがブスかなんてことでケンカをするな。このオジキが決めたる。どっちもブスだ。この話は終わりだ、と」
バンの後部座席に詰められた段ボール箱が、いっせいに揺れ、
タイヤが段差を越えたことを知らせ、
俺は目をしばたかせる。
「…ったく」
ニックが笑う。
「あいつらきっと、一生やるぜ、あのケンカ。どっちかが死ぬまで」
前を走る車の姿が、
ときおり、
右にずれ、左にずれ、その位置をふいに変える。
灰色の防音壁に囲われた道路は、まっすぐ先に伸びているのに、
ちょいちょい横に動くので、
それに続いていく俺は、
自分が鯉の尾ひれにでもなった気がしてくる。
澄んだ水の中を泳ぐ、尾ひれの長い鯉。
俺には掻いた水の抵抗すら感じられる。
傾くと、すり抜ける。
傾くと、すり抜ける。
くぐもったクラクションがひとつ鳴り、
鯉は泳ぎ去る。
車が走っている。
並列して走っている。
長いカーブにさしかかる。
車たちは、わずかに斜めに傾きながら、緩やかに下っていく。
後部座席で段ボールも、
わずかに斜めに傾きながら、緩やかに下っていく。
段ボールに詰め込まれたたくさんの小箱たちも、
その背面に印刷された「TT2」の文字も、
わずかに斜めに傾きながら、緩やかに下っていく。
「それはそれとして生きていけと」
ニックの声がした。
「言ったんだよ俺は」
小箱の中には「あれ」が入ってる。
なんだっけ。
銀色の。
円盤の。
わずかに斜めに傾きながら、緩やかに下っていく。
てぃん。
遠くで音がした。
緩やかな長いカーブ。
ホームランは緩やかで長い放物線を描き空を飛び、
野球少年は走る。
ホームランだから走らなくてもいいのに、少年は、走るのだ。
少年は、走る。
少年は、白いユニフォームを着て走る。
鯉は銀色をして泳ぐ。
銀色の鯉なんかめずらしいよな。
うん、銀色の鯉なんかめずらしいよ。
がふんと大きく世界が揺れて、
俺は運転席にいた。
ニックが横からハンドルを掴んでて、
噛みつきそうな勢いで、
「殺す気か!」
ホームランボールが、
フェンスにぶち当たったかと俺は思った。
窓の外を、灰色の防音壁が流れていた。
錆びたフェンスがかたかたと、いつまでも震えてる気がしたけど、
それは小箱の中からの音だった。
***
小学校で、
俺たちを出迎えた教師は中年の、紺のポロシャツを着た男。
「あ、設置のかたですね」
教頭と名乗ったそいつは下駄箱から茶色いスリッパを出した。
小学校はすでに授業を終えた時間帯で、校舎はがらんどうの静けさだった。
ちょっと離れた場所から、子どもたちの声も聞こえてきたんだけど、
たぶんそれは、学童保育の子供たちの声で、
校舎の大きさにひき比べれば、子どもたちの声は少ない。
スリッパは古びててぺったんこで廊下が足裏に、もろに伝わった。
真っ白いベッドが置かれた保健室の前を通り、
教師たちが机に向かう職員室をちらと見て、
教頭が開いたのは廊下の突き当りの黒い扉。
そこは校庭に面した放送室で、
窓から見えたのは、緑色に塗られた校庭で遊ぶ20人くらいの子供たちの姿。
狭い校庭の真ん中で、ドッジボールがおこなわれ、
端っこの階段にちんまり座って、それを眺めてる子ども、
その前を走り抜ける、追いかけっこ。
教師なのかなんなのか、ジャージ姿の若い男も一緒になって走り回っている。
俺は小箱を開け、銀色の小さな円盤を、ニックに手渡す。
「それが、…TT2?」
俺の手元を覗き込み、教頭が、ひとりごとのように言う。
「そんな小さいものなのか」
ニックがそれに愛想笑いして、放送卓の裏側に、円盤を、貼り付ける。
「じゃあ、テスト」
ニックが教頭に言う。
「スイッチ入れていただけますか」
放送卓の前に回り、教頭が、放送卓の電源を入れると、
放送室の空気のなかに、弱い電気がもわっとうまれた。
教頭が、指先でマイクを軽く、2回叩くとハウリング。
とん、
とん、
つー。
校庭の子供たちが、いっせいにこちらを見た。
「あ、あー」
教頭が、マイクに口を近づける。
「テストです。テストです」
校庭に響く教頭の声に、
えーーーーー!
子どもたちが声を上げ、
「なーんてね」
教頭が、ニコニコ。
「ごめん、ごめん」
「なんだよおお」
子どもたち、けらけら笑う。
「これで終了です」
ニックが教頭に言うと、
マイクから体を起こし、教頭は、窓に近づく。
俺たちも、窓に近寄る。
すでにドッジボールは再開され、
追っかけっこは走り抜け、
階段に座っていた子供も立ち上がり、それに加入。
教頭はそれを、静かに見ていた。
薬指には結婚指輪。
指輪の銀色が、光を鈍く反射した。
駐車場に戻っても、子どもたちの声は聞こえていた。
「ガキの声って、響くよな」
バンの扉に手をかけて、ニックがぼそり言った。
てぃん。
どこかで音がして、俺は空を見上げた。
陽の傾きかけた灰色の空に、カラスが一羽飛んでいく。
俺はポケットからスマホを出し、エモツイートをチェックする。
何を見ても、
君が残したものではない。
君とは関係ないものが、次々うまれている。
#エモ山
ツイートは動いていた。
誰かがどこかから、エモツイートを続けていた。
ニックが、扉を勢いよく開けた。
「ラーメン、食って帰ろうぜ」
ニックが車に乗り込んだあと、
俺はしばらく空を見上げていた。
灰色の空が、銀色に変わるのを、待っていた。
(続きます)
