短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(36) 全人類AV男優化計画とバカAI
これまでのエモ山。
「生きることに他人の許可はいらない」
あまね君が言った。
「僕たちは、いつのまにかこの世界にいる。産まれる前『産まれたいか』と、エモ山君、君は誰かに尋ねられたこと、あるかい?」
「ないわ」
俺のかわりに、沼田ミソギが答えた。
あまね君がうなずいた。
「望んだわけではない」
きれいな目をして。
「だから、クーリング・オフもできない。得たものは、最後まで、使い切る」
あまね君は、遠くを見つめた。
それは、遠く見える過去に目をこらし、その細部まで見極めようとするかのような目つき。
そのあまね君の横顔に、俺と沼田は目をこらす。
表情からうかがい知れたのは、あまね君のなかの、ほんの一部。
「僕はもう、怒りはわかない」
あまね君は、遠くにいる誰かをゆるす。
「怒りとは、コントロールの願望だからね」
沼田の目がキロリと動いた。
沼田は肩をそびやかし、あまね君に背を向けた。
「『全人類AV男優化計画』は」
沼田が言った。
「人間を、ニョロニョロ化するための計画だわ」
沼田がこっちを向いた。
「エモ山君、『ムーミン』知ってる?」
「は?」
「ムーミン」
「は?」
「ムーミン」
みんみん…。
みん…。
みん……………。
俺の頭の中に残り響く沼田の「みん」の声はやがて真夏に聞いたセミの声に変わった。
俺はヒトッコヒトリいない木立のあいだに立ちすくみ、汗をかいていた。
木立の中の俺は天才少年時代に戻っていた。
セミの大怒号に、俺はやられかけていた。
こめかみを汗がつたった。
汗が引く一本の線にしがみつくようにして、俺は記憶をさかのぼる。
そして俺は思い出す。
俺はムーミン谷に行きたかった。
ムーミン谷で暮らしたかった。
自分が今いるこの世界じゃなくて、ほんとうのムーミン谷に行きたかった。
「知ってます」
沼田にそうこたえた俺の心には、ぎゅっと引き絞られた跡みたいなのが残っていた。
そこはもう固くなって、元には戻らない。
それで俺は、自分がいかにムーミン谷に焦がれていたか、今実感する。
天才少年エモ山クンが、ムーミン谷に何を求めていたか、今実感する。
そしてまた、今実感するのは。
エモ山クンの願いが、けしてかなえられないこと。
ムーミン谷なんて、ほんとうは、ない。
「ニョロニョロに」
セミの声を割って沼田が言う。
「全人類を、ニョロニョロにするの。個性のない、電気に反応するだけのかたまりに」
「かたまり」
俺がつぶやくと、セミの声はしゅんと消えた。
時間は進んでいるはずだ。
俺は天才少年から元・天才少年になった。
時間が進んでいるからだ。
進むということは、上がっていくことじゃないのか。
進むということは、前進ではないのか。
はずなのに、ドロップドロップ沈みゆく。
気がするのは。
なぜだろう。
そこは収束地だった。
俺たちは、ゴミ収集所にいた。
そこはあまね君という天才と、元・天才少年の俺が集う場所。
収集所には、白いゴミ袋の山。
ゴミ袋には、砂がパンパンに詰まっている。
砂は俺たちが、プールからタモでさらってきたやつなんだけど、
仕事だから、タモでさらってるだけなんだけど、
実はそれは「わけあり明太子」の「わけ」の部分で、
「明太子」部分はプールの濾過装置で東京湾に流されたことばたち。
なんだけど。
戯言のざらざらした感じは砂嵐になって今もプールをぐるぐる回っている。
耳をつんざくその音から浮かび上がる金は沈まず浮かぶ。
俺はなんかさかさまの世界にいるような気がした。
ていうか自分でさかさまにしたんだよね、って思い出す。
電車の中で50円玉を拾ったあの日から、俺の世界はさかさまになった。
さかさまと裏返しは違う。
俺が世界をさかさまにしても、ムーミン谷のない世界にムーミン谷はうまれない。
俺はあまね君にはならないし、あまね君は俺にならない。
「僕は怒らない」
あまね君が、静かな声で言う。
沼田がそれをさえぎった。
「あたしには、わからないんです」
沼田は少し顔を背けていた。
「怒らないってことが、できないんです。『全人類AV男優化計画』なんてもの、あたしには、ゆるせない」
そして沼田は顔をあげ、あまね君を見つめた。
「だから」
「いや」
あまね君の眉間に、細い皺が寄った。
「僕は反対だ」
「でも」
あまね君は、黙って首を振る。
「でも」
沼田はまだ言っている。
「埋めるだけじゃ、砂を埋め戻すだけじゃ、間に合わないんです」
沼田があまね君ににじり寄った。
「ことばが多すぎる。吐き出しすぎる。吐き出して、吐き出して、いずれ人間は、空っぽになってしまう」
沼田は真剣だった。
「時間の進みが、変わったんです。速すぎるんです。人間が、すぐに吐き出してしまうから。都合のいいように、AIにつくらせるから。装置になっていることに、気づかないから」
俺はアパートにいるエゴ山を思い出す。
俺もエゴ山の装置になるのだろうかと考える。
ていうか、装置って何。
何?
「砂はこの人たちがさらいます」
沼田はチラリと俺を見た。
「それはやらせます。いつまでも」
俺はピクリとする。
装置?
「間に合わなければ、人を増やせばいい。それはわかります。けれど」
沼田がうつむいた。
「あたしには、待てなかったんです」
沼田が俺に向いた。
「自分が安心できる場所を、さがさせる」
沼田は俺の目を見て続けた。
「この世界は、あたしたちにそれをさせようとしている」
俺はムーミン谷について考える。
「不安は取り除くことのできる異物だ、と信じさせる」
俺は心の中に残るかたまりを思い起こす。
「逃げ回らせる。見て見ぬふりをさせる。無意識に、社会をテンプレとして使っていることに、気づかせない。差別を作らせる。自分だけは違うと言わせようとする」
あまね君にも聞こえるように、沼田は声を大きくした。
「ことばを連ねれば、時間は進みます。けれど、それだけでは、だめなの」
沼田は黙り、俺は沼田の沈黙を見つめた。
ことばのない時間が過ぎていった。
ことばなしで進む時間は、ドロップドロップ沈みゆく。
「でも、だめだ」
しばらくして、あまね君がこたえた。
「だめだだめだ」
「でも」
沼田が言った。
「もう、できてしまったんです」
沼田が俺に向いた。
さっきと同じ、俺に言いながら、あまね君に聞かせるあのパターン。
「『全人類AV男優化計画』への対抗策」
沼田が言った。
「『バカAI』は、もうつくられてしまったの」
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