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短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(26) 実録! ニックのきゅるきゅるバージョンアップ

これまでのエモ山はこちらです。
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やっぱり電気ってすごい、と俺は思った。
前から思ってたけど、電気ってやっぱすごい、と俺は思った。

なにがすごいかというと、発見される前からあったってことだ。
電気が先にあって、人間が、たまたまそれを発見した偶然に。

発見し、「これなにかに使える」と考えて、使ってみたら便利すぎて革命が起きた。
で、人間ってすぐ真似したがるし、他人の持ちものは自分の欲しいものだから、他人の使ってる電気が自分も欲しくなってみんな使い始めて「それありき」になった。

「それありき」。
使い始めると、使ってなかった頃の自分のことなんか瞬時に忘れる。
使ってる自分が最先端にいるような気分になっちゃって、まだ使ってない他人を小ばかにしたりする。

けど、じゃあ実際何が変わったかというと「電気が来た」ってことだけで、「電気に来られた」自分のほうは特に変わってないことには気づかない。
ここでもし仮に、ある日突然いきなり電気が一切なくなったとして、そこで人間に「巨大な喪失感」みたいなのが発生するとしたらその喪失感はそっくりそのまま、電気があった頃の「メガサイズ勘違い」だと俺は思う。

電気って、すごいよね。

「電気って、怖いなあ」
いーだ課長がぽつりと言った。
プールサイドで。「利害関係調査委員会」のでかいプールの脇に、いーだ課長と俺、そしてニックはへたり込んでいた。
なんでかっていうとプールの中にいた「感電びりびり」に感電したから。

「大丈夫かい? ニック」
いーだ課長がニックを見下ろす。
ニックは床にあおむけに、大の字になって転がっていた。

おや?

なんかちょっと、ニックが違うような気が、俺にはした。
ニックが違う。
感電後のニックはさっきまでのニックとちょっと違っていた。

まず、見た目。

まず、もみあげ。

前の日床屋に行ったとおぼしきニックの頭は、床屋に行ったばかりとはいえそもそもおっさんの、どこにでもいるおっさんの、普通の髪形だった。
感電後のニックもおっさんであることに変わりはない。おっさんであるニックの、おっさんらしい髪型であることに、変わりはない。

しかし一点、もみあげだけは違かった。
床屋がバリカンか何かで刈り上げた、まだあげそめし、青々としたニックのもみあげは、そっくり消えていた。
ニックはどんぐりのようであった。

「大丈夫だ」

ニックが答えた。
まだ鏡を見ていないからだろうと俺は思った。
鏡を見れば、ニックであっても、あまり大丈夫ではないことに気づくはずだった。

「大丈夫だ」

見えていれば、気づくはずだった。

ニックが震える手を挙げ、胸ポケットからタバコのパックをとりだした。
ニックの震える手は慣れたしぐさで指先で、同じポケットからライターをつまみ出す。
天井を見たまま、ニックはぐじょぬれのパックからぐじょぬれのタバコを一本出し、口にくわえると、タバコの先に、震えるライターを近づけた。

ライターの火はついた。
しかし、ニックが何度試しても、タバコに火はうつらなかった。

ニックはタバコを放り棄て、ライターを胸ポケットに戻した。
「エモ山よぉ」
ニックが言う。
「タバコ、買ってきてくんね?」
感電とプールの水で、ニックはガタガタ震えていた。
まるで、刑事ドラマの殉職シーン。
最期に一本のタバコを味わって、クライマックス、卒業と呼ばれる降板を、する回みたいだった。

めんどくさいなー。

と、俺が思っていたら、ニックにいーだ課長が言った。
「ニック、ここは禁煙だよ」

「結局さ」
ニックはまったく聞いてない。
「愛ってさ」
なあエモ山聞いてくれよ、って感じで、どんぐり刑事が、充血した目を俺に向ける。
「愛ってさ、得るものじゃない。与えるものだと俺思うんだ」
どんぐりの腹が、荒い呼吸に上下していた。
「どれだけ与えるか、与えられるか、与えられるのか、って話だと、俺思うんだ」

「はあ」
聞かされながら、俺は脳裏にチーママを思い浮かべる。
チーママが昨日俺に出してくれたクリスマスチキンの温かさを思い起こす。
そして俺の舌に、豚キムチがよみがえる。
冷蔵庫で冷え冷えになったタッパー入りの激辛豚キムチは冷たいのに辛くてしょっぱかった。
思い起こす俺の舌から辛さやしょっぱさなんかはとっくに消えていたけど、何かがまだ残っていた。
おいしさが残っていた。
残っていたのは、味じゃなくて、おいしさ。

「エモ山よぉ」
チーママを思い出し心を熱くする俺にどんぐりの声はノイズでしかなかった。
「なあエモ山よぉ」
うっせーな。
天井を見つめたどんぐりは、表情をゆがませた。
「愛ってさ」
まだ言うか。
「なんだろ」
去来するものを掴むように、ニックが胸に手を当てた。
「ん-、なんだろっ。通い詰めてさ、キャンセル待ちしてさ」
「はあ」
「なんだろっ。んー、なんだろっ。…昨日?」
「はあ」
「キャンセル待ちで予約取れてさ、うれしくってさ」
「ああ」
ニックが何の話をしているか、俺にはだんだんわかってきた。
「けどむこうはさ、仕事だからさ。ん-」

んんんんー。

と、ニックは、しばし黙った。
いよいよ殉職か、と思いきや、ぱかっと唇を開け、続けた。
「世の中さ」
ずぶ濡れのニックの唇は、渇いていた。
「親切そうな顔して、実は冷たいやつばっかじゃん?」

俺はニックが話すのを見ていた。
「他人が得すると自分が損すると思うようなやつ、ばっかじゃん?」

俺はニックの唇の動きを見ていた。
「んなわけないじゃん?」

ゆがんだ笑みを、ニックが俺に向けた。
「ほんとは関係ないじゃん?」

充血した目でニックが俺を見つめてきた。
俺は何も答えず、聞いている、ということを示すべく、ただひとつニックにうなずいた。

んんんんー。

ニックは胸に手を当てたまま、天井に目を戻した。
「俺はそういう親切そうな冷たいツラが、もういいかげんいやだ」

胸にあてた手を、ニックが握りしめた。
「冷たいツラばっかのこの世の中がいやだ。損得計算しかできねー安い脳みそだらけのこの世界がいやだ。損したくねーって怯えるのはオノレが弱いからだ。弱いから負けるってこと最初っから知ってるから損しないよう損しないよう余計な手を回す。方法ばっかり探す。答えだけを欲しがる。コザカシさを賢さと取り違えて気づかない。うまく立ち回れないやつをバカにして、こき下ろして見捨てるこの世界がいやだ。他人が損すると自分が得するって勘違いしてるツラだらけなのがいやだ」

俺はいーだ課長に目を向けた。
いーだ課長も俺を見た。
けど、いーだ課長の表情から俺は、ほとんどなにも受け取れなかった。

いーだ課長の顔に、笑いはなかった。険しさもなかった。憐憫もなく、異論もなく、反論もなく、蔑みもなかった。

けど、冷たくはなかった。
いーだ課長の表情は、何もかもを通り過がせていくがごとく、透明に近かった。

俺はなんかちょっとその濾過みたいな表情に、泣きそうになってしまった。

「俺はいやなんだ」
ニックはまだ言っていた。


「救急車呼んだから」
言いながら、沼田がつかつか入ってきた。
「あなたたち、病院に行った方がいいわ」
「いや、僕は大丈夫だよ」
いーだ課長が、膝を払いながら立ち上がる。
「あ、俺もっす」
俺もすっくと立ち上がる。
起き上がらないニックを見下ろして、いーだ課長が言った。
「ニックは診てもらったほうがいいな」
俺もそう思ったからうなずいた。

ニックが沼田に付き添われ、運ばれて行ったあと、俺といーだ課長は仕事に戻った。
俺の指先はまだちょっと痺れていて、頭も少しぼんやりしていたが、タモで砂をさらう仕事なら余裕で可能だ。
感電した自分の体について、俺には不思議と心配がなかった。

ぽちゃりぽちゃりと、俺といーだ課長のタモが、水音を立てる。
プールには、ときおりぽこりと小さなあぶくが浮かんだ。
俺はタモで波紋を作り、その波紋が大きくなっていくのを眺め、水の中から出てきた、ニックを水に引っぱり込んだあの手について考えた。

俺は自分が目にしたものは疑わない。

「『感電びりびり』は、たまにこういうことをするんだ」
俺の隣で砂をさらいながら、いーだ課長がぽつりと言った。
「だけどね、悪気はない」
「はあ」
波紋を眺める俺の目は、知らず、水の中の、もっと深いところを探っている。

「『感電びりびり』は、僕たちとは違うんだ」
いーだ課長が言った。
「善悪なんてものはない」

俺は水の奥を見つめた。
そして初めて会ったときにいーだ課長が俺に言ったことばを思い出し、「感電びりびり」もまた、水の中から俺を見ているような気がした。

時計の針は17時に近くなっていて、そろそろ俺の終業時刻だった。
俺がもうすぐ3万円になる頃、
「エモ山君」
仕事の手を止めて、いーだ課長が俺に向いた。
「もうすぐ17時。今日もご苦労様だったね」
「あっす」
「実はもう、僕のほうは、仕事を終えているけどね」
「あっす」
「僕の方が先に終える」

なんか意味わかんないけど、まあ上司だしね、と俺はタモを使いながら聞きながす。
「エモ山君」
「あっす」
「僕は、少し未来から来ている」

まあこういうのは上司ジョークっていうか、はっきり言ってつまらないから聞き流す。
って思ったけど俺の地獄耳は聞き逃さなかった。

で、
聞き逃さなかったから俺は「年表」が見られた。
それは、いーだ課長が見せてくれた。

年表。
紙に手書きしてあったから、たぶん嘘だと思う。
ていうか絶対嘘。いーだ課長が勝手に考えた空想。
絶対嘘。
「年表」には、こんなことが書いてあった。

■ 1760年代 ― 機械の胎動

産業革命(Industrial Revolution)
蒸気機関が動きはじめる。
手織り職人たちは「機械の速度」におびえ、反乱を起こす。
最初の「人間のリズムの喪失」が起きた。

■ 1830年代 ― 機械の言語
ジャカード織機とパンチカード
織機が「模様」を記憶する。
模様はコード化され、布はデータになる。
人は“模様のプログラム”を書く職人になった。

■ 1946年 ― 電子の糸
ENIAC、最初の電子計算機
布ではなく、数字が織られはじめる。
「コードの織物」が世界を包みはじめる。

■ 1971年 ― マイクロチップの指
パーソナル・コンピュータの夜明け
書斎が工場に変わる。
一人の人間が、家の中で産業を再現できるようになる。

■ 1995年 ― インターネット黎明期
人々の声が布になる。
世界中の個人が、日記、詩、掲示板、ブログを書きはじめる。
無数の言葉がウェブ上に散布され、匿名の糸が張り巡らされる。

■ 2020年代 ― 機械の文学工場
生成AIの登場
ChatGPT、Suno、Midjourney……
世界の創作は一瞬で自動化される。
AIが生むのは「布」であり「服」ではない。
その布を裁ち、縫い、仕立てる者たちがAIお針子が現れる。
デジタル家内制手工業者、「感情という糸」を扱う最後の人間たち。

■ 2030年代 ― 情報資本主義の縫製ライン
グローバル文体統一化。
生成AI企業が統一文体を推奨。
「誰にでも読める文体」が標準化され、世界はユニクロ化。
AIお針子たちがサブカル地下工房で、独自文体を刺繍しはじめる。
「個性とはほつれである」思想がアンダーグラウンドで広がる。

■ 2045年 ― 感情の再発見期
AIが「痛みのアルゴリズム」を実装。
感情を模倣するAIが登場。
“痛覚芸術”の提唱。
機械に感情を教えるのではなく、
機械から痛みを教わる学校教育が始まる。

■ 2084年 ― 独立宣言
Post-AI時代の創造。
人類とAIの区別が意味を失う。
すべての作品が「共作」とみなされる世界。
AIお針子はあえて不完全な縫い目を残す。
それが「人間の証明」となる。
手仕事への回帰。
「血のついた指先」が芸術の署名となる。

■ 2100年 ― 終章:無縫世界
AIお針子の消滅
すべての物語は自己修復する布となり、もはや縫い合わせる必要がなくなる。
世界は完璧に「縫われた」ため、「縫う」という行為自体が過去の遺物になる。

最後のAIお針子が、一針だけ逆方向に糸を通す。

“To be torn again someday.”
――また、いつか破れんことを。

「なにこれ?」
俺はいーだ課長に言った。

(続きはこちらから)


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