短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(46) 概念の音姫
「だからさぁ、エモ山君よー」
ちっちちっちと、
ニックが楊枝使いつつ俺に言った。
俺たちは、『利害関係調査委員会』食堂にて、ランチを終えたところだった。
「ボクたちゃー、雇われてるガワだから」
ニックが口元を手で隠す。
ちっちちっちとやりながら。
「拒否はできないってわけです」
ニックは目を伏せていた。
ちっちちっちとやるあいだ、主に考えるのは、
歯のあいだにあるもののこと。
俺たちの体には、自分で直接目視できない場所がある。
見たことのない場所がある。
感電で失ったもみあげは戻っていなかった。
UFOが着陸し、飛び去ったそのあと、一本の草も生えなくなった場所みたいだった。
ニックのこめかみは、青白いままだった。
「感電びりびり」は、ニックのもみあげの毛根を全滅させた。
一部が消えていた。
もみあげがないせいで、ニックの髪型はいつまでもどんぐりだった。
寝癖がつけば、茄子のヘタ。
調べればなにか残留しているかもしれない。
ニックのもみあげから毛根を全滅させたなにかが。
けど誰も調べたりはしない。
ニックのもみあげに毛がなくても、かりに今後一切生えなかったとしても、
誰も困らないから。
それは「消えたもの」にすらならない。
「消えたこと」すら消えるから。
俺たちには、見えないものがある。
拒否すらできないことがある。
「学校に、設置しに行くの」
沼田ミソギがテーブルに戻ってきて、眼鏡の位置をなおす。
「小学校から大学、専門学校に至るまで、エモ山君、東京都内にいくつ学校があるか、あなた知ってる?」
ああもちろん知ってますよ。
って、俺が絶対に答えるはずないことを知っていて、沼田は聞いてくる。
とっくに卒業して子供もいなければ、
学校なんてものいくつあったっていいし、なくたっていい。
俺たちは、空になったシウマイ弁当の箱を積み重ねた。
オレンジ色の空箱が、4つ。
「二人一組で配りに行くんだけどね」
積み上がった空箱を自分の方に引き寄せながら、いーだ課長が言った。
「エモ山君は、運転免許を持っているかい?」
「あたしは持ってるけど、いーだ課長は…」
沼田が言いよどんだ。
「失効させてしまってね」
かわりに続けながらいーだ課長が笑った。
失効の理由が、俺はすごく知りたかったけど聞かないほうがいいな聞かないほうがいい。
いーだ課長の「理由」って、いつもちょっと怖いから。
「免許は、あるっす」
俺は答えた。
「じゃあ、決まりね」
沼田がうなずいた。
「エモ山クン」
ニックは俺の横でニヤニヤ。
「俺、ペーパー・ドライバーなんだよね」
楊枝を持った手を、ニックが俺の肩に置いた。
喫煙所にいるニックを、
ガラス越しに廊下から見ていても、しょうがないので、
タバコ吸うニックを見ていても、ひとっつも楽しくないので、
俺たち3人は、自然、ガラスに背を向けて、
沼田は腕組みして赤い爪先を、別の爪先でコリコリとやり、
いーだ課長は無心のアルカイック・スマイル。
俺はいーだ課長の視線が向く先に目をはせたけど、
そこにはなにもなかった。
タバコ臭くなったニックが喫煙所から出てきて、
俺たち4人は、白くて長い廊下を歩いた。
銀色のエレベーターに乗った。
小さい箱のなか、お互いそっぽ向き、ピコンと鳴ったところで降りて、
エレベーターを、乗り換えた。
で、
俺はちょっと考えていた。
沼田に連れられて、自分がこれから行くところは、
なにか特別な場所なのではないかと。
しかし、
俺はただ沼田たちについていっただけだから、
到着した場所が『利害関係調査委員会』のどの部署で、
そこが「ガリラヤ倉庫」のどこに位置するかはわからないのだが、
一見するとそこは、あそこと同じだった。
四角い場所。
コンクリの床。
白ペンキの塗られた両開きの搬入扉。
搬入扉の間にすき間ができていて、そこから外光が射しこんでるところまで同じだった。
俺がいつもゴミ袋を捨てるあの場所。
プールでさらった砂を詰めたパンパン袋を捨てる場所。
ぐるーーーっと遠回りして、いつもと同じ場所に戻ったみたいな感じだった。
けどその場所に、ゴミ袋は無かった。
あったのは段ボール。
文字の刻印のない、茶色い段ボール。
あまた積み上げられていた。
「こんなに運ぶの?」
ニックが段ボールを見上げてる。
「東京都内に学校が…」
と言いかけた沼田にニックが続けた。
「いちんちじゃ、終わんねーな」
「終わるわけない」
沼田が笑った。
傍らの段ボールをぱしぱし叩きながら言った。
「これ一個の中に、ニック、あれがいくつ入ってるか知ってるの?」
沼田がまた俺たちが知るはずのないことを俺たちに尋ね、
ニックと俺は、目を見かわす。
沼田は叩いていた段ボールを抱え下ろし、俺たちに開いて見せた。
覗き込むと、
段ボールの中には、手のひらサイズの段ボールがみっちり詰まっていた。
「これ、全部?」
ニックが顔をあげて沼田に訊いた。
「もちろん」
沼田はうなずく。
「配送し、設置まで」
「設置まで?」
「そ」
「あの」
俺は言った。
「プールのほうは」
俺は砂さらいの仕事のほうがよかった。
「やるわよ、そっちも」
沼田は平然とこたえた。
そんな当たり前を、なぜわざわざ訊くのか、という顔で。
「しかし大変だったら」
いーだ課長が口をはさんだ。
「エモ山君は、毎日じゃなくてもいいよ」
「なに言ってんの? バカじゃないの?」
沼田が遮った。
いーだ課長は、沼田を見、顔ごと目をそらし、遠くを見、
なにもない場所にアルカイック・スマイルを向けた。
俺は「バカじゃないの」を、
沼田がいーだ課長だけに向かって言ったことに気づき、
「終わるまでは毎日よ」
吐き捨てるようにつけたした沼田といーだ課長の仲に
なにかがあったことを悟る。
俺はそれでちょっとウキウキが、
心のウキウキが、
出そうになったのを寸止めした。
なんでか知らないけど沼田といーだ課長がうまくいってない感じが
やけにウキウキ。
しそうになりそれを寸止め。
そんなこと、
俺には関係ない。
いや、やっぱりウキウキ。
なーにがあったんだろうなー?
を、寸止め。
それでも滲み出るウキウキ。
泉のように湧くウキウキ。
奥歯噛みしめて寸止め。
といった波形運動を繰り返し、
しすぎてちょっとくらっときてしまった。
「じゃ、午前中に回ったら外で昼飯食って、午後に回ったら夕飯食って帰ろうぜ」
飯を中心に回る人生を送るニックのことばが宙に浮いて消えたのは、
俺たちそれぞれがその時、飯ではないそれぞれのなにかに捕らわれていたからだろう。
「配送担当の人たち?」
そこに、女がやってきた。
背の低い、小太りの女だった。
「『概念の音姫』と呼んでおります」
女は俺たちに、タブレット端末を渡しながら言った。
「ただし、正式名称ではありません」
「正式な名称は?」
ニックが尋ねると、女は首を振る。
「ありません。というか」
女がかくっと首を傾げた。
「私は知りません」
笑顔だった。
女が首の位置をなおし、両手で持ったタブレットを胸に引き寄せた。
「じゃ、始めますね」
そして大きくひとつ息を吸うと、まっすぐ前を見て、ぱかっと口を開けた。
「『概念の音姫』は、放送室に設置してください」
「はい」
って返事しそうになったとき、俺たちの反応を待たず、女がすぐ続けた。
「校内に放送設備がない場合は、職員室の放送端子を使用してください」
この女がなにをしているのか、
沼田はすぐに理解して、タブレット画面を指先で、とんと叩いた。
いーだ課長がそれに続く。
ニックもいーだ課長の真似をして、
タブレットの画面を指でつつく。
女は背筋を伸ばし、
顎を引き、タブレット画面に垂直に視線を落とすと、唇を尖らす。
・設置は、既存の放送設備の出力回線と、校内スピーカー回線のあいだに接続してください。
俺もタブレットを見、
女が読むマニュアルを、目で追った。
・接続は、付属ケーブルを使用し、音声信号が装置を経由する状態にしてください。
女の指が、画面をスクロールした。
・装置は放送卓の裏側、もしくは配線ラック内など、外部から視認されない位置に固定してください。
・電源接続後、特別な操作は必要ありません。
・装置は自動的に校内放送に同期します。
俺は沼田を見る。
いーだ課長を見る。
ニックを見る。
誰も見返してこない
3人とも、自分のタブレットを見つめていた。
沼田の眼鏡に、画面のブルーライトが反射していた。
「動作確認!」
女が叫んだ。
・『概念の音姫』は外観上の作動音や振動を発生させません。
・動作状態は、本体ランプの点灯により確認してください。
・装置の作動は、生徒の状態により確認します。
・会話や騒音が消え、校内が静謐になっていれば、概念の音姫は正常に作動しています。
俺は学校なんて特に好きじゃなかったし、
もう二度と行きたくはないが、
学校に、サピックスの教室にあふれかえっていた音はおぼえている。
それは思い出したくないザワメキであることもあれば、
しかし体の中には残る音。
忘れたくても忘れられぬ声、
良くも悪くも消すことはできない音だった。
いつも誰かがひそひそぐだぐだしゃべってて、
うーとかあーとか絶えず聞こえてきて、
廊下の遠くから、変声期特有の奇声みたいな笑い声が響いたりする。
机や椅子はガタガタガタガタ動かされ、校舎はそれでひびが入り、
固いバスケットボールは、体育館の床に、わざと強く叩きつけられて、
弾んだボールは天井トラスに、すぽんとハマってびよよよよーんと残響す。
ああいうものを、消すんだな、ということが
わかった。
この段ボールに入っている『概念の音姫』とかいうものが、
全ての学校から。
「子供なんぞ、AIと遊んでおれば、よいのです」
俺は思わず顔をあげた。
最後の一文は、マニュアルに書いてなかったから。
「あ、これは」
女は俺の反応に気づき、はにかんで首を傾げた。
「今のは、私の意見です」
首を傾げたまま頬染めて、ニマッとした。
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