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短編ドラマ「名もなき主役たち」第13話「ただ振ってるだけですけど、昔は“係長”でした」

朝7時45分。
駅前の通学路。
今日も黄色い旗が、ぴょこ、ぴょこ、ぴょこんと揺れている。

振っているのは――
白い髭を生やしたおじいさん。

帽子にウィンドブレーカー、サンダルに厚手の靴下。
冬なのか夏なのかよくわからない。
腕には色あせた「地域パトロール」の腕章。よく見ると、フェルトペンで「元祖」と手書きされている。本人作。

名前は知られていない。
でも地元の中高生には「旗のおじい」と呼ばれている。
一部の男子中学生は「マスター」と呼ぶ。RPG(ロールプレイングゲーム)のノリらしい。理由はない。ノリだ。

信号が変わるたびに、おじいさんは黄色い旗をシャッ!と振る。
でも、通り過ぎる中高生は無反応。イヤホン、スマホ、無表情。
視界に入っていないのか、あえて見ないのか。そのあたりはあえて追及しないのが現代風。

でも、小学生はちょっと違う。

「おはようございます!」と挨拶していく子。
帽子をペコリとする子。
旗のマネをして「シャッ!」とやる子。
中には「オレにも振らせて」と旗を奪おうとする子までいる。

おじいさんは“無言で許す”。
優しさなのか、体力の限界なのか。たぶん、両方。

ある日、旗を握った小学生がこう叫んだ。

「交通整理の人って、神じゃん!!」

それ以来、彼の中では「旗=正義」という公式が脳にインストールされた。
おじいさんは、聞こえてないフリをしながら、ちゃんと聞いていた。
でも旗の振り方だけは絶対に崩さない。それが彼の“美学”。

実はこのおじいさん――
かつて「世界を直す係」という、謎の肩書を持った伝説の小学生だった。
通称“係長”。

黄色い旗を片手に、通学路を歩きながら、
服の乱れ、靴ひも、傘の持ち方、落ちてるゴミ、眉間のシワ。
あらゆる「乱れ」に対して、旗を使って“整える”ことに全力を注いでいた。

「はい、ストップ」
「惜しい、整って〜」

旗は、彼にとっての「整えるスイッチ」だった。

ある雨の日、傘を忘れて立ち尽くす女の子がいた。
彼は、自分の黄色い旗をそっと差し出した。

「これ、今日だけ特別。直す係の、臨時支給」

女の子はきょとんとした後、ふっと笑った。
次の日、手作りの小さな黄色い旗を持ってきた。

そこには鉛筆でこう書かれていた。

「わたしも せかい なおす」

その旗は今も、おじいさんの引き出しの奥にある。

でも、大人になって気づいた。

社会って、思ったより“直される気”がなかった。

彼は営業職になり、転職して、結婚して、離婚して、再婚して、また離婚して、
宅配もやった、倉庫勤務もやった、膝も壊した。
最終的にたどり着いたのが――「ただ旗を振る人」。

でも、本人にとってそれは「出世」じゃない。
「原点回帰」だった。

子どもの頃に振っていた旗を、
今度は言葉もなく、ただ静かに振る。
“直す”ことはもうしない。ただ、“止める”。それでいい。

ただ、この人、旗の振り方には異常にこだわっている。

赤信号中はリズムよく3回振る(BPM80。呼吸と同期)

青信号の瞬間は1回シャッと縦振り(「どうぞ」の意味)

雨の日は角度を5度下げる(“しっとりモード”。誰も気づかない)

月曜は逆手で振る(「週のはじまりは力を抜け」のサイン)

冬は軍手を二重に(「今日も守るよ」の重み)

誰も見ていない。でも、彼だけは毎朝“ショー”として演じている。

ある朝、女子中学生がスマホでつぶやいた。

「旗のおじいさん、旗さばきが地味にオシャレ。クセになる」

その投稿が軽くバズった。

#旗じい

#朝の舞踏家

#ピヨピヨと同期してる

#交通指導じゃなくてパフォーマンス

翌朝、スマホ片手に何人かの若者が交差点に現れた。
撮るでもなく、実況するでもなく、ただ、じっと見ていた。

青信号になった、その瞬間。

「ピヨピヨ」
「シャッ!」
靴音。ランドセルの揺れる音。
すべてが、一拍のズレもなく、重なった。

まるで、街全体が、一瞬だけ音楽になったみたいだった。

「……今の、なんか、泣きそうになった。え、なんで?」

理由はない。
でも、誰かの“毎日”が、自分の“何か”と、ふと重なった。
それだけで、胸の奥がふっと揺れた。

その日、おじいさんは旗を片づけながら、
ポケットから一枚のくしゃくしゃの紙を取り出した。

そこには、昔の自分が書いた言葉。

「せかいをなおすかかり けいぞくちゅう」
(ぜんぶ、ひらがな)

誰にも見せたことはない。
でも、毎朝これを見てから旗を握る。

“直す”ことは、もうできない。
でも、止めることならできる。
見逃さず、見守ることは、まだできる。

旗って、たぶん、そういうもんだ。

今朝もまた、交差点で黄色い旗が揺れている。
風の向きも、世界の向きも、ぐちゃぐちゃだけど――
ひとりだけ、ちゃんとリズムを持ってる人がいる。

それだけで、街が少しだけ、整って見える。

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※本作に掲載している写真は、記事のイメージに基づいて作成したものです。
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