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短編ドラマ「名もなき主役たち」第14話「おばあちゃんとイヤホンと、90分の約束」

図書館の横にある、無名のベンチ。
コンクリートの地面と一体化したような造りで、座り心地はお世辞にも良くない。
だけど、午後のこの時間になると、いつも誰かが座っている。

今日の“主役”は、おばあちゃんだった。
髪はふわっと白く、ピンクのカーディガンが春の光を柔らかく吸っていた。
バッグの中には、読みかけの文庫本と、
その上に無造作に置かれたスマホと、ぐるぐる巻きにされたイヤホン。

そのイヤホンを、彼女は手の中で何度もほぐしたり、また巻き直したりしていた。
差すでもなく、聴くでもなく。
まるで、ずっと迷っているように。
“音がする”ということよりも、
そのコードの先に誰かがいる気がして、
離せずにいる――そんな手つきだった。

スマホの画面は、真っ黒のまま。
ただ、それを両手で包むように持って、しばらく動かない。

ときどき風が吹くと、スカートのすそが揺れて、
その下から、かすかに黒い膝サポーターがのぞいた。
歳月と、歩いてきた道の名残。

そんなベンチの反対側に、制服姿の高校生がどすんと腰を下ろした。
イヤホンを両耳に差し、スマホを横向きに持って、なにやら映画を観ているようだった。

音が、かすかに漏れてくる。
ゾンビの呻き声。銃声。人の叫び。
どうやらホラーアクションらしい。だが、ところどころセリフが妙に静かで、深い。

おばあちゃんはそちらをちらっと見ると、ほんの少しだけ首をかしげた。
“怖くないのかしら”とでも言いたげに。
でも、何も言わない。

その代わり、自分のイヤホンのコードをそっと手に取り、
また静かに巻き直し始めた。

そして、そのまま――声をかけた。

「……映画、観てるの?」

少年は、やや驚いたように顔を上げた。
イヤホンを片方外し、ちょっと照れくさそうに笑った。

「はい。ゾンビのやつです」

「ゾンビ? 怖くない?」

「うーん……まぁ怖いですけど、なんか、ちょっと泣けるんですよ」

「ゾンビで?」

「人間のほうが怖い、みたいな内容で」

「……ふふ。今の、録音して孫に送ってやりたいわ。あの子、ゾンビ嫌いだから」

笑ったあと、ふたりの間に、ちょっとだけあたたかい“間”が生まれた。

少年は、ポケットから予備のイヤホンを取り出した。
ほんとは誰かに使わせるつもりなんてなかったやつ。
でも、なぜか、自然と差し出していた。

「……音だけ聴きます? まだ、鳴ってるんで」

おばあちゃんは、少し驚いた顔でそれを見る。
そして、思い出したように、バッグの中の自分のイヤホンを見つめた。

「これ、孫がくれたの。
“これで映画とか聴いてね”って言われたけど、
うまくできなくて。ずっと、しまったまま」

「じゃあ、今、使いましょうよ。音、まだ残ってるんで。スマホって、便利ですよね。画面消えても、音だけはずっと流れてる」

「……それ、なんか、いいわね。
画面は見えなくても、音は、残るんだ」

少年は、おばあちゃんの耳にイヤホンをそっと差した。
その動きはぎこちなくて、でもやさしかった。
彼女の小さな耳に、ぴったりはまった瞬間、
なぜか、風がぴたりと止まった気がした。

ふたりは、同じ音を聴いた。
ゾンビのうなり声も、静かなセリフも。
そして、図書館のドアが開く音、カラスの鳴き声、自転車のブレーキの軋み音も――
ぜんぶが、映画の中の音みたいに、流れてきた。

会話はなかった。
でも、同じ音を、同じ時間、耳に流しているだけで、


不思議と、誰かのことを“思い出せる”気がした。

おばあちゃんの目が、じわっと赤くなった。

「……ありがとうね」

その声は、たぶんイヤホン越しにしか届いていない。
でも、少年はうなずいた。

数日後。
ベンチには、少年だけが座っていた。

イヤホンを片耳にだけ差し、もう片方は、
ぽっかり空いたまま、膝の上に置かれていた。

スマホは再生されていなかった。
その代わり、両手には、一枚の便箋が握られていた。
古い紙。丁寧な字。最後の行だけ、少しにじんでいた。

「映画の話、孫とたくさんできました。
このイヤホン、ようやく“使えた”気がしました。
あなたのおかげです。

90分だけのことなのに、
それが、ずっと残る記憶になるなんて、思いませんでした。

ありがとう。
またどこかで会えたら――そのときは、続きを聴きましょう。」

少年は、ベンチの真ん中に、イヤホンの片方をそっと置いた。
もう使わないけど、捨てたくないものって、こういうのを言うんだと思った。

そのコードが風に揺れた。
まるで、「次の人、どうぞ」と言っているようだった。

それからというもの、
あの図書館のベンチには、ときどき知らない誰かが座るようになった。

イヤホンを片耳だけ差して、もう片方は空けている。

何を聴いているのかはわからない。
映画かもしれないし、風の音かもしれない。
でも、その姿には、誰かの“続きを受け取っている”気配があった。

ゾンビ映画から始まった、90分の優しさ。
ただ隣に座って、音を共有しただけなのに、
そこに確かに“人の手”みたいなものが残った。

名前も、顔も、知らなくても。
音だけで、つながることは、きっとできる。

そして、誰かがいなくなっても――
耳が、覚えている。
心のいちばん静かな場所で。

今日もまた、午後のベンチには、
静かな映画のような時間が、そっと流れている。

イヤホンの片方は、今も空けてある。
それがきっと、いちばん優しい“手のつなぎ方”。

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※本作に掲載している写真は、記事のイメージに基づいて作成したものです。
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