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短編ドラマ「名もなき主役たち」第21話「笑う気なんて、なかったんですけど」

夕方4時すぎ、市役所の税務課窓口。
閉庁まで、あと1時間。なのに、この感じ。
みんな無言。BGMは『エリーゼのために』。なんでだよ。

俺は58歳。3か月前に会社を辞めた。今は無職。無所属。無重力。
別に辞めたくて辞めたわけじゃない。
気づいたら「辞めてた」って感じ。いや、言い訳っぽいな、これ。
まぁ、ようするにアレだ。人生、曲がり角どころか、今、Uターンしそうになってる。

「退職したら手続きいろいろ必要だよ」って言われて、なんとなく来た。
なんとなくで市役所って、けっこうなギャンブルだなと思いながら、もう来ちゃってるからね。
手ぶらではないよ。番号札は握ってる。番号札って、あれだよね。小市民のパスポート。

制度? 手順? 知らない。ていうか、知らなきゃいけないの?
こっち、会社のマニュアルすら読まずに20年働いてきたんだよ?
……とか強がってたけど、やっぱわからん。ていうか、ここ、質問しにくい空気すごいな。
「え、今さらそんなことも?」って顔されるんじゃないかって被害妄想が止まらない。
自意識だけが広報誌より分厚い。

蛍光灯の白い光。所在なさげなクラシック。
ピンポン。ピンポン。電子音だけが律儀に仕事してる。

で、掲示板が「41番」の次に「2番」を表示した。
「……えっ?」って、みんな同時に小声で言った。
ちょっと笑った。でも誰も笑わない。なんだこの場所。

「もう30分も待っとるんよ! わしが先やろが!」
あ、やっぱ怒る人いるんだ。よかった。人間がいた。
でもそれも、係長みたいな人がすごい低姿勢で対応してて、すぐ終わった。
市役所ドラマならCMまたいで揉めるとこだよ。現実は地味で早い。

「44番の方、どうぞー」

呼ばれた。
呼ばれたことにちょっと感動した自分がいた。
誰かに必要とされてる……わけじゃないんだけど、“番号”が呼ばれるって、意外と沁みる。

カウンターの向こうには若い男性職員。
真面目そう。髪きれい。姿勢がすごく「理想の新入社員」って感じ。
うちの息子にこんなときあったかな……いや、比べるのやめよう。

「お待たせしました。ご用件をお伺いします」
うわ、声が柔らかい。包まれそう。これはずるい。
こっちは人見知りなのに。

「えっと……その……前の会社を辞めてから、保険料の……なんか、手続きが……」
って、急に語尾が全部“もごもご語”になる。俺の口、どうした?

そのとき、彼がふっと笑った。

……え、なに? 俺、変なこと言った? 顔ついてる?

「……すみません、いや、笑うつもりじゃなかったんですけど」

あ、謝った。笑って謝るタイプか。憎めないやつ。

でもその顔に、ちょっとだけ“わかるよ”って感じがあって、
なぜか安心した。というか、ちょっと嬉しかった。

「僕も去年、似たような状況だったんですよ。保険料とか控除とか……訳が分からなくて」

え、あなたも? そんなにフレッシュで?
なんかもう、突然同志。勝手に部活つくりそうな勢い。

「この手続き、けっこうややこしいですけど、大事なのはここだけです」
彼が紙に印つけながら、さらっと言う。
「ここに今日の日付を書いていただければ、あとは僕の方で整えますね」

整えてくれるって。ありがたすぎて、こっちが崩れそう。

「……あの、“控除”って、なんなんですか?」
言っちゃった。恥もなにもない。今さら。

彼は少し考えてから、こう言った。

「えーっと、超ざっくり言うと、“こちらが払った分を、なかったことにしてくれる魔法”です」

魔法。まじか。
なんだよそれ、ポケモンみたいじゃん。でも……妙にわかる。
税金界にもチート技があるんだな。

「はい。使いすぎると混乱しますが、覚えておくと得する技ですね」

なるほど。税金も人生も、無理に全部理解しなくていいってことだな。

書類を書き終えて立ち上がると、
隣で手続きしていたおばあさんが、ぽつりとつぶやいた。

「……あんたら、いいコンビだねぇ」

え、俺たちコンビだったの? じゃあユニット名どうする? って心の中でツッコミ入れたけど、
なんか……泣きそうになった。

「コンビ」って言葉、久しぶりに聞いた。
昔、仕事で「チームで動け」って何度も言われてたけど、あれとはちょっと違う。
ちゃんと笑い合った「相棒」って意味だ。

彼も照れくさそうに笑ってる。
若いのに、照れるポイント、ちゃんとしてるな。

「すみません、いや、今度は……ちょっと笑う気でした」

今度は、って。あ、覚えてくれてたんだ。
また空気がちょっとだけ、やさしくなった。

外へ出ると、空は群青色に染まりはじめていた。
市役所の窓に、オレンジ色の残照が映っている。

ポケットの中には、彼が手書きで書いてくれたメモ。
字が丁寧。余白も気が利いてる。
メモに感動できる年齢になったの、誇っていいかもしれない。

あの人は、明日も笑っているだろうか。
きっとまた、誰かに言うのだろう。

「……笑うつもりじゃなかったんですけど」

でもその“つもりじゃない笑い”が、
今日という日をなんとか受け入れさせてくれて、
たぶん、この街のどこかの誰かにも、肩の力を抜かせている。

笑いって、偉大だな。いや、ほんとに。

(第22話はここをクリック)

※本作に掲載している写真は、記事のイメージに基づいて作成したものです。
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