短編ドラマ「名もなき主役たち」【第10話】「おつりは、どこへ消えた?」
朝のバス。
みんな静か。っていうか、無言の極み。
スマホ凝視、窓の外ぼーっと、イヤホンして、“今この場所にいない顔”。
乗ってるけど、誰も“そこ”にいない――そんな、あの独特の空気感。
そこへ、空気読まない二人が乗り込んでくる。
でっかいバックパックとスーツケースをガラガラ引きながら、アジア系外国人のカップル登場。
明るっ。笑顔っ。世界旅行か。最高か。
で、当然のように前のドアから乗ろうとするわけよ。
そしたら、運転手が冷静に「後ろから乗ってください」って。
相変わらずの感情ゼロ対応。アレ、AIなの?
カップル、いったん固まるけど、すぐ「アリガトウゴザイマス!」とか言って、笑顔のまま後ろに回る。
いや、対応力。あと彼女の笑い声、めっちゃ元気。
で、普通ならここで終わるはずなんだけど――
そうは問屋が卸さなかった。ていうか、問屋、誰?
バスが動き出して少し経ったところで、
彼氏の方がトコトコ歩いて前まで来て、千円札を両替機に投入。
で、出てきた小銭を、ジャラッとそのまま料金箱に――イン。
うん、やっちゃった。
このバス、後払い制なんですけどー!
ていうか、運賃、距離で変わるんですけどー!

声には出さなかったけど、心の中ではめっちゃ叫んでた。
いや、たぶん彼の国では先払いがデフォなんだろうな。
まさかの、正義のフライング。
運転手はチラッとは見たけど、完全スルー。
気づいてんの?気づいてないの?どっちでも“言わない”のがプロなの?
で、こっちにも選択肢が出てきた。
1)運転手に言う。
2)彼氏に中国語かはたまた韓国語で説明する。
3)何もせず、降車ボタンを押すタイミングをはかる。
オレは、迷わず3。堂々と。
ていうか、外国語ムリだし。
彼女もニコニコしてるし。
空気が「何も起きてませんよ」って顔してるし。
誰も“事”にしたくない感じ。
次のバス停でオレは降りた。
カップルはまだ乗ってた。
あの後、彼がもう一回払ったのか、
運転手が気づいて「まぁいっか」で済ませたのか、
それとも、彼女が「ちょっとアンタ早いよ」って言ったのか――
全部、知らない。
でもさ、なんか胸に引っかかったんだよね。
善意のズレ、っていうか。
誰も悪くないのに、誰も正せなかった感じが、ちょっとだけ気になった。
信号待ちしながら、バスの窓越しに朝の街が流れてくのを見た。
あのカップル、たぶん何事もなかったみたいに、旅を続けるんだろうな。
でも、オレにはちょっとだけムズムズが残った。
言えばよかったのか?いや、野暮か?でも気になるな、みたいな。
この街、やさしいけど、不親切だな。
ルールはあるけど、翻訳はされてない。
善意でズレても、誰も修正してくれない。
でもまあ、彼女はずっと笑ってたし、
オレも結局、なにもしなかったし。
でも、その“なにもしなさ”が、ずっと胸のどこかでこすれてる。
――たぶん、それでいいのかもしれない。
そうやって今日も、この街はなんとなく、うまくまわってる。
おつりがどこへ行ったかは、知らないけど。
できれば――
誰かの“やさしさ貯金”になってたらいいな、と思う。
※本作に掲載している写真は、記事のイメージに基づいて作成したものです。
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