短編ドラマ「名もなき主役たち」第51話「炭の音と帰り道」
風が強い。
紙皿がひとつ、くるくる回って川に落ちた。
拾おうとした人がいたけど、途中でやめた。
その代わりに、誰かが黙って新しい皿を出した。
炭はなかなか火がつかない。
しゃがみこんで、うちわであおぐ人。
汗が首筋をつたって、Tシャツが背中に張りついてる。
うちわの先が焦げそうなくらい近づいて、離れて、また近づく。
空気が動くたびに灰が少し舞う。
風が強すぎて、火が怒ってるみたいだ。
「これ、ついてる?」
声をかけた人がいたけど、返事はない。
うちわの音だけが、ずっと続いてる。
空を見上げてる人、缶ビールを持ったまま動かない人、
それぞれの静けさが違うリズムでそこにある。
子どもが肉を触って怒られている。
母親の声は少し強いけど、
「熱いからね」と小さく言い足していた。
その小ささが、今日いちばん人間らしかった。
子どもは泣かない。
代わりに、焼ける匂いのほうを見ている。
少し離れたところで、誰かが煙草を吸っている。
風が横から奪っていく。
吸っても吸っても、煙が残らない。
でも、その人は火をつけ直さなかった。
遠くで犬が吠えている。
ラジオみたいに、波に乗って響いてきて、すぐ消えた。
笑い声もある。
でも、その合間に風の音が入ってくる。
その隙間だけが、音を持っていた。

火がようやくついて、
「おー」って声が上がる。
大きくも小さくもない声。
そのまま、みんな肉を見ている。
煙が顔をかすめても、誰も避けない。
炭の音だけがちゃんと働いている。
「焼けた?」
「どうだろ」
それで会話が終わる。
ビールの泡が音を立てて弾けた。
誰も笑わなかったけど、悪くもなかった。
夕方。
風が止まって、煙がまっすぐ上にのぼった。
誰も見上げなかった。
でも、空はそれを待っていたみたいに青かった。
テーブルの影が長く伸びて、足もとで誰かの靴がぶつかる。
「ごめん」
その一言だけで、空気が少しゆるんだ。
──
車の中。
タイヤが橋の継ぎ目を踏むたびに、小さく音が鳴る。
助手席の人が「てかさ、あの肉、豚だったよね?」と言った。
後ろの二人が同時に「いや牛でしょ!」って声をあげる。
車内が少し明るくなる。
運転してる人は黙って前を見ている。
たぶん、どっちでもいいと思ってる。
でも「どっちでもいい」は、この車では禁止ワードだ。
「タレ薄くなかった?」
「それ俺も思った!」
「でも、焼きそばうまくなかった?」
「うまかった〜、あれ奇跡」
奇跡の焼きそば。
誰が作ったかも、もう誰も覚えてない。
窓の外を、自転車の人が追い抜いていく。
その速さに、車の中の時間が一瞬だけ止まる。
「なんか、帰るの早いな」
誰かが言って、笑いが起きた。
赤信号。
窓の外に、さっきのゴミ袋を抱えた人たちが見える。
助手席の人がぼそっと言った。
「あの人らも、今“奇跡の焼きそば”の話してるよ」
車の中で、ふっと笑いが起きた。
運転してる人も、少し笑う。
ラジオからDJの声。
「今日も一日、おつかれさまでした」
と言って、古いJ-POPが流れた。
誰も喋らなくなった。
外はオレンジ色。
川沿いの風が窓から入って、
煙の匂いがふっと戻ってくる。
「あー、服くせぇな」
「でも、なんか好きじゃない?この匂い」
「わかる」
たぶん全員、
本当はそんなにわかってない。
それでも「わかる」と言った。
車内に少しだけ沈黙。
ラジオの音が遠くなる。
誰かが小さく息を吐いた。
その音が、エンジン音に溶けていく。
車が橋を渡る。
タイヤのリズムがまた始まる。
夕焼けの下で、炭の音がまだ耳の奥に残っている。
その音だけが、今日を証明していた
※本作に掲載している写真は、記事のイメージに基づいて作成したものです。
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