見出し画像

短編ドラマ「名もなき主役たち」 第20話「三倍になったのは、家賃だけじゃなかった」

築42年。
エレベーターなし。
タイルは剥がれ、郵便受けの名札は何年も前のまま。
雨漏りは補修されてるけど、もう何回目か分からない。
昭和からギリ令和まで生き延びたビルが、いま息を引き取ろうとしている。

掲示板に、白い紙がピシッと貼られている。

「令和7年8月末をもって、当ビルは閉鎖となります。契約者各位には順次、明け渡しのお願いをいたします。」

四隅はビシッと止められていて、妙に几帳面。
フォントは明朝体。官報みたいな冷たさ。
でもそこにあるのは、優しさでも配慮でもなく、**“片付けの宣言”**だった。

■ 1階 定食屋
看板も、暖簾も、いちいち主張しない。
真っ白な布だけが風に揺れてる。
メニューは、唐揚げ定食 味噌汁付き。
それだけ。だけど、それで十分だった。

親父は無口。
BGMは換気扇の音と、油のパチパチ。
この日も、いつも通り――

……かと思ったら、ひとつだけ違った。

「……家賃、三倍だってさ」

OLが唐揚げを咥えたまま、止まる。
唐揚げはいつも通り熱くてジューシーで、でも味がしない。

「三倍って……ほんとに?」

「冗談なら良かったよ。19万。……もう、うちは無理だ」

レジ横のカウンターに伏せられた請求書。
赤いゴシック体で「¥190,000」。
フォントの冷たさが、言葉より冷酷。

会社員風の男がぼそっと。

「……ここ、なくなっちゃうんですか?」

親父は無言で唐揚げを返す。
「ジュッ」と油が鳴った。
それが、店の返事だった。

■ 3階 老夫婦の部屋
昭和の残り香が、そこら中にこびりついてる。
干しっぱなしのタオル。
ポリ茶瓶。
タンスの上に孫の似顔絵。
テレビにはレース編みのカバー。
流れてるのは運動会のDVD。音は出てない。

「……なんでいきなり19万? 先月まで7万ちょいだったのに」

「払えっていうより、出てけってことよ。やんわりと、ね」

老婦人の手に握られた請求書が、カサッと小さな音を立てる。

夫は、古びたミカン箱に服を詰めている。
ガムテがぐるぐる巻かれてて、底が抜けかけ。

「次のとこも、エレベーターないって」

「筋トレになるね」

「……膝、持てばな」

重い荷物を持ち上げながら、ぽつり。

「家賃もさ、疲れもさ、こっちのしんどさも、みーんな三倍だよ。……倍々ゲームかよ、人生」

■ 2階 ネイルサロン
ドアは内側からペンキを塗ってリメイクされた跡。
中には、色褪せたキャンペーンチラシと、
「友達紹介で500円オフ☆」のポスター。

壁の寄せ書きは、今や1人になったスタッフの思い出。

女オーナーは静かに、でも手際よく段ボールに詰めていく。
スワロ、ジェルライト、ピンクのファイル。
ひとつひとつに、誰かの手が重なっていた。

「更新の通知も来ないで、“立ち退き”のメールかぁ……
家賃三倍、30日で原状回復? 舐めてるよね、マジで」

鏡の前に立ち、自分の目をじっと見る。
口紅を塗る。誰も見てないけど、そういうときこそ“やめたくない”。

最後に、壁にそっとメモを貼る。

「ここで10年、泣いたり笑ったり、爪、磨いたなあ。」

それは名刺でも看板でもない。自分の、存在証明だった。

その夜。
スーツケースのゴロゴロ音が廊下を転がっていく。
コツコツとヒールの音。
ヒソヒソとした外国語。

住人たちは、ドア越しに耳を澄ませた。

翌朝、ある部屋の横に、見慣れない銀色のキーボックス。
「……もう民泊、始まってる」
誰が? いつから? 誰にも分からない。
でも、空気だけが確実に、変わり始めていた。

数日後、若い外国人男性が、通訳を連れて現れた。
けれど、彼は自分の言葉で話そうとした。

「Sorry. We... move you out. It’s... difficult. I... understand. Not good. I am... sorry.(すみません……あなたに出ていってもらいます。つらいです。分かってます。よくないことだと。本当に……ごめんなさい」

言葉はたどたどしいけれど、顔を見て、目を見て、伝えていた。

ネイルサロンの女が、ゆっくりうなずいた。

「……分かってる。ビジネスだもんね。
でも、せめて半年くれたら……ちゃんと探せたのに」

涙は音もなく、ただ、落ちた。

■ 屋上
コンクリの隅に、プランター。
季節外れのパセリが、風に揺れている。

管理人のおばあちゃんが、ちょん、とそれを引き抜く。

「もったいなかけん、味噌汁に入れたら、うまかよ」

隣にしゃがんでるのは、さっきの外国人の青年。

土の中から、色あせたプラスチックのスコップが出てきた。
小さい、ヒビだらけのやつ。

それを見て、彼の目が少し変わる。

「Not asset. Something else...」
(お金になるものじゃない。きっと……それ以外の、大事なもの)

彼はそのスコップを、ゆっくりポケットにしまった。

■ 数日後 定食屋の前
OLが立ち止まる。
シャッターの脇に、チョークで書かれたメッセージ。

「ありがとう うまかった!」

雨に打たれて、もう読めるか読めないか。

「三倍になったのって、家賃だけじゃないんだよね」

「何が?」

「空気とか、安心とか、“いていいよ”って、言わないけど伝わってくる感じ」

「戻ってくると思う?」

「戻ってくるよ、きっと。
でも“それっぽい”だけの店になって、名前も匂いも、きっと違うんだろうな」

二人は黙ったまま、シャッターを見上げる。

完成予想図のPDFには、こう書かれていた。

「スマートロック完備」
「無人カフェ併設」
「外国人歓迎」
「文化的再生(※ただし唐揚げ不可)」

けれど、そのPDFには、
唐揚げの匂いも、
風呂掃除の当番票も、
孫の似顔絵も、
味噌汁のパセリも、
管理人の九州訛りの優しさも、
一行も書かれていなかった。

その夜。
あるアパートのキッチンで、炊飯器のスイッチが押される。

「カチッ」

音は小さいけど、確かだった。
何も変わらない。
何も解決してない。
でも、今日も飯を炊いてる人がいる。

それは、誰かの日常が灯し続けた、
ささやかで、でも確かな――希望だった。

第21話はここをクリック

※本作に掲載している写真は、記事のイメージに基づいて作成したものです。
※📢Xでも更新のお知らせや執筆裏話をつぶやいています。
よければこちらもフォローしてね → )@avi_aramis
▶︎連載中👉『名もなき主役たち』
▶連載中👉「 人生、風景経由
▶︎ 更新通知が欲しい方は「フォロー」+「スキ」お願いします📩
▶︎ 感想やお気に入りの話は、ぜひ #名もなき主役たち でつぶやいてください
📚私がこれまで書いてきた本たち 〜人の生き様を描き続ける理由とは〜
本と記事はここをクリック 


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集