冥府への玉座 第4話
第1章 混沌の世界への誘い
3.天空を行く者
東の空がヒポエステスの葉のような淡い灰みがかった紫色に染まり始めた頃には、白馬の騎士ヴァイスはすでにハフェンベルグ王国より北東に数百キロ離れたサンタスタスクという村に来ていた。
左腕の傷も癒えぬまま、ただ一人ラシエナガ城をあとにしてしまったことに何のためらいもないが、この先、はたしてポーランツ王子に再び会うことができるのか、そのことへの不安の方が大きかった。
一方、戴冠式の最中連れ去られたポーランツ王子、王子とともに消えた宝冠。傷も癒えぬままいなくなった白馬の騎士ヴァイスと、ラシエナガ城は不安と混乱の中にあった。
国王不在のハフェンベルグ王国をどう立て直すかの討議を終えた国政役人たちが、白々と明けはじめた朝を共有するため中庭に出てきている。
「ブロンデンは逃げたのだ。己の不甲斐なさにいたたまれなくなったのであろう。愚かな奴だ」
モンティ卿が東の空へ顔をむけて言った。
「あの言い伝え通りならば、王子はまだ生きておれるはずだ」
役人の一人が言うと、モンティ卿と同じように東の空を見上げた。
「宝冠だけでは意味がないからの」
他の役人も口をそろえて、ポーランツ王子が持つサファイア・ブルーの瞳の伝説のことを言った。
東の空を見つめていたモンティ卿が再び口を開いた。
「本当に言い伝え通りならば、さらなる厄介な事態になろうぞ。ハフェンベルグ王国の崩壊になりかねん」
モンティ卿は、うっすらと貝殻のようなピンク色に塗り替えられた東の空に顔をむけたままつぶやいた。
「この事態を阻止することはできるのか。ヴァイス・ブロンデン」
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遥か遠く地平線上の空が勿忘草の花びらを何枚も重ねたように薄青く輝きはじめ、ポーランツ王子のところへと導いているように白馬の騎士ヴァイスには思えた。
(旅ははじまったばかりだ。この先幾多の困難が待ち構えていようとも、俺は一人じゃない。ポーリー、お前を愛する全ての民が、そして、お前自身がこうして導いてくれる)
黒い頭に黄褐色の胸羽根がよく目立つアトリが、鏡のように磨き上げられたラシエナガ城の長い廊下を足早に歩く時に聞こえる「キョッキョッ」という音のように鳴きながら東の空へ飛んでいった。
「アトリよ、お前も彼のところへ連れていってくれるのか?」
白馬の騎士ヴァイスが飛んでいくアトリを目で追っていくと、鳴き声は風の音とともに消えていた。
「待ってくれ! 俺を導いてくれ!」
アトリの鳴き声が消えたあとには、白馬の騎士ヴァイスの悲痛な叫び声だけが残った。
もう長いこと走り続けていた白馬の騎士ヴァイスの愛馬にとって、これ以上俊足に走り出すことは無理であった。
「悪かったな、オリバー。十分疲れているのに」
白馬の騎士ヴァイスは愛馬オリバーをねぎらい下馬すると、彼の手綱を持ってゆっくりと歩き出した。
行く道々に、名も知れない草花が咲いているのがわかった。
「ポーリー、お前を探す旅に出なかったら、こんな花を見つけることもなかった」
オリバーの手綱を引いて、しばし立ち止まる白馬の騎士ヴァイス。
「たくましく咲いていて、感謝するよ。これからもここで旅人を癒してやってくれ」
ドグゼリに似た名も無き白い小さな花が秋風に吹かれ、わずかに揺れている。まだ時間はあると、励ましてくれているようだった。
「わかったよ、オリバー。もう少し先に行ったら、休もう。ポーリーは、あの瞳があるかぎり命を奪われることはないだろう。まだ、時間はある」
白馬の騎士ヴァイスは名も無き花に落としていた視線を地平線へと戻すと、再びゆっくりと歩き出した。
「ポーリーはおそらく、あの地平線の下にいる。ペルセウスがくるまでにお前を取り戻しにいく。絶対に」
白馬の騎士ヴァイスの氷河のような瞳に光が灯り、再び全身に力が宿っていた。
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