見出し画像

冥府への玉座 第5話

第1章 混沌の世界への誘い

4.仮面の裏側

 それは、突然の旅立ちだった。
予期していた事態だとはいえ、ポーランツ王子はもう少し白馬の騎士ヴァイスに自分がこのキャリコダウン国にいた証拠を残しておきたかった。
 北東の空にペルセウスがやってくるまでにはまだ時間があるはずだが、なぜこんなにも早く城をあとにするのか、ポーランツ王子は疑問に思った。

(追っ手が迫っていると感じたのか? ヴァス、お前がもう近くまで来てくれているというのか)

 囚われていた牢を監視していた騎士団の甲冑のような薄暗い灰色の空を仰ぎながら、ポーランツ王子は心を反映しているようだと感じた。

 キャリコダウン国の執政ソレル・ラナキュスを先頭に、黒やこげ茶色の馬にまたがった一行が、ひたすら北東の空へ向かい長い行列を作り出している。ポーランツ王子の愛馬チャーリーと違い持久力があり、おとなしいアラブ種のこの馬でよかったと彼は安堵していた。後ろ手に縛られたままでの騎乗は、チャーリーでは不可能だったはずだ。

       ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕ ⁕

 旅に同行させられているポーランツ王子の、いままで以上に凛とした態度を見つめながら漆黒の騎士ケネスは、これまでに味わったことのない不思議な感覚が目覚めてしまったことに気づいた。

(ポーランツ王子よ。貴方のその凛とした態度を築かせているものは何なのだ。背中をむけたまま逃げることも、民を裏切ることもできたはずだ)

 自信に満ちたポーランツ王子の、その美しい横顔を見つめる漆黒の騎士ケネスの視線に気づいたポーランツ王子は、目を細めながらもやさしい眼差しを送り返してきた。彼の深く碧く、吸い込まれそうなほどの透明で純粋なサファイア・ブルーの瞳が『お前のすべてを許す』と言っているように漆黒の騎士ケネスには見えた。

 甲冑のような薄暗い灰色の空から、とうとう激しい雨が降り出した。その雨は懸命に戦った騎士の汗のようであり、その戦いに敗れた騎士の悔恨の涙のようでもあった。このまま前進し続けるのは得策ではないと判断したキャリコダウン国一行は近くの岩山で暖をとることにした。
 大きな岩の陰に座らされたポーランツ王子は、激しく降る雨をじっと眺めている。きつく縛らた紐がポーランツ王子の手首に食い込んで薄っすらと血が滲んでいる。
 漆黒の騎士ケネスが温かい飲み物を二つ手にしてポーランツ王子の座る岩陰にあらわれた。
「王子、お疲れになりませんか?」
 そう言って飲み物が入った器を掲げた。
「私の命を奪おうとした其方そなたが、私の身体を気遣うというのか」
 ポーランツ王子は漆黒の騎士ケネスを突き放すように言った。漆黒の騎士ケネスはポーランツ王子を直視することができなかった。
「ソレルとともに永遠の命と富を、弱者であるキャリコダウン国の民に与えることが、私の使命だと思っておりました」
 漆黒の騎士ケネスは二つの器を持ったまま、静かにポーランツ王子の前でひざまずいた。そして、伏せていた顔を上げた。愁いを帯びたアイス・グリーンの瞳に怒りの稲妻が反射された。
「何としてでも貴方をわが国へと。しかし、貴方のそのサファイア・ブルーの瞳を見て、この胴欲の源である貴方の命を奪って、すべての終焉を迎えてしまいたかった」
 そう言って漆黒の騎士ケネスは手にしていた器を置き、ポーランツ王子の手首から紐を解いた。ポーランツ王子は手首をさすりながら漆黒の騎士ケネスに問う。
「終焉を迎えることが、恐ろしいのか?」
「貴方は、恐ろしくないのですか?」
 ポーランツ王子は漆黒の騎士ケネスの瞳を捉えたまま沈黙した。岩にあたる雨音だけが響いている。
「私がもっとも恐れることは、己の心が信じられなくなった時。感情のままに行動できなくなった時。それが、一番恐ろしい」
 そう言ってポーランツ王子は、細めていた目を大きく見開いた。そして、彼の持つ宝石の瞳で漆黒の騎士ケネスをじっと見つめた。
「なぜ、逃げないのです」
「信じているからだ」
 再びの沈黙が流れた。もう雨音は聞こえない。

 漆黒の騎士ケネスは、サファイアの輝きに吸い寄せられるかのようにポーランツ王子を抱きしめた。その身体は雨粒によって冷え切っていた。
「私は、人の温もりを信じている。其方の凍りついた心を、この温もりで溶かすがよい」
 ポーランツ王子をさらに強く抱きしめる漆黒の騎士ケネスの背中に、そっと腕が回された。

 雨で濡れた赤土の上に横倒しになるポーランツ王子と漆黒の騎士ケネス。
ポーランツ王子の手が漆黒の騎士ケネスの首筋をしっかりと掴んでいる。
「私は、己の心を信じている。このままペルセウスに向かってはいけないと、私の心が言っている。だから」
 漆黒の騎士ケネスが苦悶の表情になり、必死でポーランツ王子の指を放そうとしている。しかし、その視線はポーランツ王子の瞳から逸らすことはできない。
「貴方が信じているのは……貴方自身でも、もちろん、私でもなく」
 漆黒の騎士ケネスの息づかいが荒くなる。
「白馬の騎士ヴァイス……ただひとり。でも、奴は唯一無二では……」
 漆黒の騎士ケネスの首筋を掴んでいるポーランツ王子の瞳の色が、深海のように濃い藍色へと変わっていた。
「何をしておる!」
 ラナキュスがポーランツ王子を押し退け、漆黒の騎士ケネスを引き離した。ラナキュスは怒りに震え、ポーランツ王子の顔を激しく叩いた。唇から一筋の血が流れていた。それでもなお、ポーランツ王子は微動だにせず、藍色へと変わった深海の宝石をさらなる深き底へと追い詰めた。その深く濃い碧い瞳でラナキュスを射抜いた。
「少し甘い顔を見せすぎたようですな。殿下には、またしばらく眠っていただきましょう」
 ラナキュスの言葉を聞くか聞かぬかの間に、ポーランツ王子は意識が薄れてくのがわかった。
 雨でドロドロになった赤土の上で、絞められた首筋をさすりながらポーランツ王子の様子を見つめている漆黒の騎士ケネスを、ラナキュスは怪訝そうに横目で見やった。
「ケネス様。貴方まで、あの宝石の虜になってしまったのですか」
 強い信念と怒りに満ちているポーランツ王子の横顔を見つめる漆黒の騎士ケネスには、ラナキュスの声も届かぬぐらい碧い海の奥深くへ沈められていくのがわかった。

(白馬の騎士ヴァイスよ。お前には、この宝石を返さない。絶対に)

 後ろ手に縛らた上に薬によって再び深い眠りについたポーランツ王子。この宝石は手放した方が負けだ。
 漆黒の騎士ケネスの情念は高まる一方だった。

 激しく降っていた雨がいつしかやんでおり、東の空に七色の虹がかかっていた。


 

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門


いいなと思ったら応援しよう!

本屋カフェ夢想堂 サポートしてほしいニャ! 無職で色無し状態だニャ~ン😭